先日バスケのことを書いたらいろいろ思い出してしまいました。
私がアメリカに初めて行った時、まず大学の寮に入りました。1973年当時はもちろん携帯電話などありません。各部屋に電話もないし、個人的にテレビを持っている学生もいません。
寮のロビーにテレビが置いてあり、みんなでワイワイ言いながら見ました。次の年の春、NBAのプレーオフシーズンですが、ある晩テレビの前にみんな集まって大騒ぎしながら見ていました。
なにかと思ったら、ボストン・セルティックス対ミルウォーキー・バックスの決勝戦だったらしいです。私は日本にいるときからバスケットボールは好きで遊びでは、やっていましたが、その程度だったのでNBAの知識は殆どありませんでした。
学生寮のロビーのテレビの前で学生たちが盛り上がっている姿を見て、NBAの人気に驚いたこと、そして、そのすごいプレーに仰天して私もみんなにまじって観戦しました。
バックスのセンターはあのカリーム・アブドゥル・ジャバー、ボストンのセンターはデイブ・コゥエンスでした。コゥエンスはたしか6フィート・8インチ、2メートル2~3センチです。今はこんなに小さいセンタープレーヤーはNBAにはいませんね。
ボストンのパワーフォワードはジョン・ハヴェリチェック、彼は6フィート5インチ、今ではガードでも小さいほうかもしれません。
そのあとバスケ大好き人間になった私はいろいろな事を知り、NBAの知識が増えて行きました。そしてずいぶんあとに発見したことは、なんとあのゲームはBig-Oことオスカーロバートソンのラストゲームだった可能性が高いんです!
ジャバーはまだゴーグルをしていませんね、後ろにいるのがBig-Oです。
NBAのことをよく知るようになって、オスカー・ロバートソンと云う伝説的な選手がいたことを知り、ライブで彼のプレーを見たかったなぁ、とずっと思っていたのですが、実は彼の引退前の最後の試合があのボストンとのプレーオフだったのですね。リアルタイムで彼のプレーを見ていたことに気づいていなかったんです。
カリームはあのフックショットが印象的でよく覚えていますが、アシストとかガードのプレーに関しては知識ゼロでしたから、残念ながらBig-Oの印象は残っていません。
Big-Oは6フィート・5インチ、当時のガードとしてはかなり大型の選手でした、あのころはNBAでも180センチ以下の選手も結構いましたから、のちのマジック・ジョンソンみたいな感じだったんでしょうね。(マジックは確か6フィート9インチくらいでしたか、ガードですが、当時のボストンのセンターより大きかった訳です)
トリプル・ダブルを達成した回数はマジックよりはるかに多く(おそらくこの記録はだれも破れないでしょう)なんとダブル・トリプル・ダブルを達成したこともあります。ポイント、リバウンド、アシストすべて20以上・・・・。他には誰もやったことはありません。
ウイルト・チェンバレンの一試合に100得点という大記録と共に、もう誰も破れないだろう記録をいくつも作った、まさにレジェンドです。もう一年早くアメリカに行っていればそういう事も知った上で彼のラストゲームを見て感動していたかもしれません。
1973~1974シーズンのNBAプレーオフ、私は19歳、初めてNBAの迫力にふれた年でした。