米国での開業を切り上げて日本のとある病院歯科に勤務して間もない頃のこと、病棟から一本の電話が入った。
看護師からの電話で、入院中の患者さんが『もう一度、リンゴを食べたい!』と希望しているというものだった。
予約状況を調べると返事すると、電話の向こうで「実はこの患者さんは余命が長くて二週間と診断されている。 なるべく早くしてほしい。」ということだった。
私は何ができるかを調べるために直ぐに病棟に向かうと、病室には四十代の女性患者が微笑んで待っておられ、その横にはまだ十代の娘さんが不安げに付き添っていた。
その光景を目にして即座になんとかしようと決め、娘さんにお母さんを車椅子に乗せて歯科に連れてくるように頼んだ。
歯科に戻ると直ぐに技工所に電話をし、事情を説明して金属の被せ物を早急に作製してもらうように依頼した。 通常、このような被せ物の作製に一週間ほどかかるのだが、技工所からは一晩で仕上げます、との返事をもらった。
しばらくすると娘さんが押す車椅子に乗ってご本人が来られた。
早速、歯を削って歯型を取り、仮歯をつけてから、明日には被せ物が入るのでお出でください、と案内すると嬉しそうに頷いていた。
翌日、やはり娘さんに連れられてご本人が来られ、無事に被せ物を装着した。
治療が終わり支払いをしようとされたので無料ですと伝えると驚いた表情を浮かべていたが、微笑まれながら歯科を後にしていった。
実は、技工所からの請求書が「0円」となっていたのだ。
その後、どうしているのか気になったが病室に訪ねるのは遠慮した。
それから数週間経った頃だろう...
あの患者さんのご家族だという方が会いに来られた。
「実は、被せ物を作ってもらってから一週間ほどで眠りについた。 でも最後にリンゴを本当に美味しそうに食べていた。 人生最後の小さな希望を叶えてくれて感謝している。」と涙された。
この出来事から私の歯科治療への考え方が変わったように思う。
それまではある意味、機械的な治療だった。
虫歯があればそれを取り除いて補修する・・・今でも治療方法はそれほど変わらないだろう。しかしあれ以降、治療の向こうに患者さんの人生、日々の生活があることを強く意識するようになった。
同じ虫歯治療でもA案、B案 C案と複数の治療計画をたて、それぞれの治療が与える影響を可能な限り想定してみる。
患者さんにもそれを提示し、一番合っていると思う治療計画を選んでもらうようにしている。
被せ物の高さが1/10ミリ狂うだけで食事がうまくできなくなり、多大なストレスを与えることだってある。
たかが虫歯の治療かもしれないが、それが喜びにも苦痛にもなることを肝に銘じながら歯科医療を究めつづけたい。
2015年4月24日 カテゴリ:歯の諸々