二葉亭四迷の作品で「ひとりごと」という小文があります。日露戦争後に新聞に載せられた文章ですが、日本の風刺文学の傑作のひとつと言われているそうです。
日露戦争のあと、講和条約の内容に不満をもった人たちが暴動を起こし、政府は戒厳令を出して収拾につとめました。その混乱の中で桂首相がどのように政治家や民衆、マスコミをコントロールしたのか、首相が「ひとりごと」をつぶやいている(ツイッターみたいですね)と言う形式の文章です。
そこには詳しく書いてありませんが、日露の講和条約は桂内閣が苦労してまとめたものの、マスコミは弱腰外交だ!と民衆を煽り、結果として暴動がおきました。
日本は欧米の列強から借金を重ね軍備を備えました。幸運にも初戦の陸海戦に勝利しましたが弾薬も殆ど使い果たし、多くの兵を失い、戦争を続けるのは困難な状況でした。
ロシアはまだまだ強力な軍備を残しており、初期の戦線で敗退したとは言え戦争に負けたとは思っていなかったでしょう。
ロシア革命が迫っている国内の状況もあり講和に同意しましたが、負けたと思っていないのだから条件は決して「勝った」と思っている日本人が満足できるものではありませんでした。
桂首相は「ほんとにマスコミも民衆も何もわかっとらん」と内心思いつつ、事態の収拾に努めたわけです。
いつの時代も、どこの国でも、わかったような事を言って人々を惑わす有識者やマスコミがいます。先日来日していたオリバー・ストーン監督が「アメリカのマスコミのレベルは悲しい程低い」と嘆いていました。
日本はどうでしょうか?先日「特定秘密保護法」という法律が成立しましたが、この前後に一部マスコミ、有識者と呼ばれる人たちが多々偏向した論議を主張して大騒ぎしていましたが、もうニュースになっていません。あの人たちはどこに行ってしまったのでしょう?
法案のこれからの修正は必要でしょうが、自国民の安全と利益を守るためには「知られない権利」もときどきは行使せざるを得ないこともあるのではないでしょうか?
度々「知る権利」、「言論の自由」を振りかざす人たちにたまには「ペンの暴力」について語って貰いたいといつも思っています。自由という言葉は何をしてもいいと言う意味ではないのですから。「暴力の自由」なんて・・・許せないではありませんか。