ずいぶん前の話ですが、堺屋太一さんが閣僚(経済企画庁長官だったでしょうか)だった時、日本の米の関税率について、(500%くらいだったかなぁ?)こんな非常識な事をしていは世界中の笑いものになる・・・と言った発言をしました。
私も、「そうだよなぁ・・・、」と思ったのですが、当時の農水省大臣の故中川昭一大臣は「ど素人に言われたくない!」と反論しました。
堺屋さんはすぐに謝罪しました。元通産官僚であり、高名な作家、評論家であった彼でさえ畑違いの事には知識が不足していたのですね。農業の世界では(農業に限りませんが)自国の産業を守るための聖域には数百%の関税をかけることは常識であることが一般には知られていなかったのです。
いまだにSTAP細胞に関して、バラエティー番組のような取り上げ方が続いています。私も生物学、遺伝子学にはど素人ですからなにも言える立場ではありませんが、わたしの高校同期の友人で似たような研究に関係している友人から教えてもらった事があります。
遺伝子の映像を紹介するときに見やすいように中を切って切り貼りする事はみんなやっていて、それが結果を変えることもなく、容認されている当たり前の事なんだそうです。
私は歯科大に入る前に物理学科を出ていますが、畑違いのことには無知です。専門の事でさえ基本的なことを越えたら素人同然です。ノーベル化学賞をとった方でもきっとそういうことの知識は乏しいのではないでしょうか?
その分野の専門家のコメントよりも一般の評論家や、専門外の科学者、またなぜか精神科医の意見までが出されたりしています。
IPS細胞の研究で名をはせた中山教授も「STAB細胞でなくとも、何かあるのではないか?」とコメントしていました。また彼は「30歳では研究者として才能があっても、まだ未熟な面もあり、そこを指導し、またそういった若い研究者を守らなければいけない」とコメントしましたが、「未熟」と言う単語だけが使われ、「中山教授がこの研究者の未熟さを批判」と言った表現に歪曲されて報道されています。
これでは中山教授もかわいそうですよね。彼の意図とはまるで違った言葉が広がって行きます。私たちのような、ど素人の一般人が誤解しないような報道を期待したいものです。研究者の倫理を語るなら、報道機関の倫理も求めたいではありませんか?
もしもSTAP細胞が再現できなくとも、新しい可能性にチャレンジすることが科学、人類の発展に繋がると言うことは過去の歴史から明らかなことなのです。また、捏造と決め込んでいらしゃる方々、もし再現に成功したらもう一度、コロッと手のひらを反すのでしょうか?
もうこれ以上この事にコメントしたくありません。なんで日本のネットワークがこぞって特番で完全中継してるんだか・・・・?何を期待しているのだか・・・?
アインシュタインの名言があります。「常識とは、人間が18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」