最近伊藤若冲の特集・・・、のようなテレビ番組をよくやっています。今、上野の都立美術館で伊藤若冲展をやっているからでしょう。
ただ、一つの展覧会の為にこれほど特集番組が組まれることも珍しいように思います。何故か最近、伊藤若冲が急に脚光を浴びるようになりました。
私も少しだけその手の番組を(ちょっとだけ)のぞいてみました。なるほど・・・、いろんなハイテク技術まで駆使して若冲の世界の先端を行っていたテクニックなどが紹介されていたり、感心することしきりな内容です。
あまり難しい事には興味がないので最近飽きっぽくなって来ている私は最後まで通して見る事が出来ませんでした。(笑)実は私も伊藤若冲に心を奪われた一人なのですけれどね・・・。
この連休にでも観に行ってみようか?と思っていましたが、これだけ特集を組まれるとかなり混むだろうな、と結局足を運ぶこともありませんでした。
初めて伊藤若冲を知ったのはサントリー美術館でした。あれはいつだったのかな?と美術館のホームページで展示歴を調べたところ、1984年でした。今はミッドタウンにある美術館ですが、あの頃は赤坂見附にありました。
「異色の江戸絵画・アメリカ・プライスコレクション」と銘打った展覧会でした。日本画の収集家として有名なプライスさんのコレクションの里帰り展、といったもので、特に若冲の特集と言う事ではありませんでした。まだあまり若冲は注目されていなかったのでしょう。
今も昔も美術には、さほどの興味も知識も持っていない私ですが、何故行ったんだろう?若い頃(日本に帰って来た頃ですね)高校時代からの友人のKm君がとてもそういう事に博学で、少し影響された事もありました。また、10年間海外で暮らしてきて、逆に日本の事に興味が少し湧いていたと言う事もあったのでしょう。
このころ浮世絵であったりこういう江戸絵画であったり、展覧会があるとなんとなく足を運んでいました。そう、ただ足を運んでいただけです。元々Kmくんのように美術が好きだったわけではありませんから、特に印象に残っているものもありません。ま、ちょっとカッコつけで展覧会通いをしていたのでしょう。
ただ、この時のサントリー美術館での幾つかの絵には目を奪われました。なんて綺麗なんだろう!と思って暫く眺めていたのが伊藤若冲の絵たちでした。そして他の、酒井抱一や、他の絵師たちの絵にも感動を覚えましたが、若冲の絵にはまさに心を奪われてしまったようです。
そのあとでKmくんに話をしてみると(何しろ若冲の読み方も知りませんでしたから)「伊藤なんとか、って言う人だけどさぁ・・・」とか言うと、「じゃくちゅうはねぇ・・・、」と難しそうな顔をして彼のうんちくが始まりまして、殆ど一瞬で忘れた私ですが、「あぁ、ジャクチュウって読むんだったんだ・・・」と読み方だけはその時に覚えました(笑)。
その後も幾つかの展覧会で伊藤若冲の絵が出典されると聞けば、行って若冲の絵だけ見てさっと帰って来たりしていました。
連休の間に衣替えがてら整理をしていたら出て来たその頃のお土産です。
別に深くまた隅々まで読んで研究したりする筈もありません。ちょっとパラパラ眺めてしまってあったものです。ですから、特に何か詳しくなった訳でもなし。いつものことでありますね(笑)。
今回ウイキペディアを見て見ましたら、(ウイキがどこまで正確なのかわかりませんが)江戸時代には人気のあった若冲も明治になってから徐々に人に知られなくなっていった・・・、と書かれていました。
江戸時代の京都では「平安人物志」と言う、まぁ「Who`s who」みたいな当時の名士、文化人たちの人名録のようなものが刊行されていまして、ほぼ10年前後の間隔で1768年から10版だったかな?出されたそうです。それには絵師であれば人気ランキングも入っていたそうで、私が以前何かで読んだ時には若冲は丸山応挙に次いで2位だったと書いてありました。
今回ちょっとチェックして見ましたが、その年度によって2位であったり3位であったり、まぁ常に人気上位だったのですが丸山応挙の人気にはかなわなかったようです。因みに他の上位人気絵師には与謝蕪村、池大雅、等が常連で名を連ねています。蕪村は画家でもあったんだね、私の無知をさらけ出すようですが全く知りませんでした。
丸山応挙さんは当時は常に人気ナンバーワンだったのに今はどう評価されているんでしょうね?ある美術評論家は「応挙は日本の絵画を本当につまらなくしてしまったと思うが、一面では実に革新的な画家であり、少なくとも歴史的な意義は重要と言える。・・・」と書いています。へぇ~~(驚)
ちょっと厳しい言い方だなぁ・・・。応挙さん可哀想。難しい事はわかりませんけど、私は応挙さんの絵たちも好きですよ。
若冲がこうして注目されるようになりましたが、他の絵師たちの作品にも少し光が当たってもいいのではないかなぁ・・・。伊藤若冲がそうでしたが、外国で評判が高くなって初めて日本でも注目されると言う不思議な逆循環が時としてありますね。日本の漫画文化なんてまさにそうでした。「いい歳をして漫画なんか読んで・・・」とか言われた次期もありました。
でも確かに若冲さんの絵はいつ見ても美しい・・・。
ところでウイキペディアによると、「明治以降忘れ去られて行った・・・」とありましたが、明治時代にはまだその名はまだまだ通っていただろう事を私はある小説から感じていました。
夏目漱石の「草枕」の一節です。そう、あの逸話の宿の部屋に通されたときの描写です。床にかかっていた・・・、と言う事ですから掛け軸なんでしょうか?こうして普通に小説の中で若冲が使われていたわけです。
夏目漱石ほどの文化人だからこそ知っていたと言う事もあるのかも知れませんけど・・・。
このことを思い出して、草枕のどのあたりに若冲の名前が出てきたんだったかな・・・?と捜すために読み流していましたら、いやぁ~、前に読んだときは気にも留めませんでしたが。彼の教養があちこちに示されていましたね。美術、文学、歴史、音楽・・・、さまざまな分野にわたっての記述がさりげなく、あちらこちらにちりばめてありました。巻末の注解を読むだけでかなり勉強させられます。夏目漱石恐るべし!だなぁ・・・。
文系の方がたにはどうともない事かも知れませんが(そう、若冲の読みを教えてくれたKm君のように皆さんよく知っているのでしょうね)、理系の私にしてみると驚愕、尊敬です。
Kmくんとはもう長い事ご無沙汰だなぁ。数学が苦手で高1のときに赤点をとって泣きそうな顔で「落第しちゃうよぉ・・・」と言っていたほど理系教科はダメだったけど、文学、美術に関しては尊敬する知識人でしたね。絵も上手だったなぁ。今年の同期会には出て来てくれたらいいな、と思っています。
さて伊藤若冲生誕300年とのことで都立美術館で開催されている若冲展も来週の5月24日(火)で終わってしまいます。今回は見にいけそうもありません。皆さま楽しまれたんだろうなぁ・・・。