私たちが会話をしたり新聞を読んだりするときに使う言葉にはそれぞれの意味があります。いまこうして書き物をしていますが、ここに使っている単語一つ一つに意味があり、それを共有することによって意思の疎通であったり、情報の共有であったり、人と人の間で情報を交換することが可能になる訳です。
ただ言葉、単語の定義、意味と言うものは数学に使う定義のように明確に一つのものにはなりません。
数学ではいろいろな言葉や物事にはっきりとした一つの定義を作り、それを元に計算や証明がなされて行きます。その定義に幾つもの意味があっては証明がなりたちません。そこには主観は入りません。
しかし言葉というものは、同じ単語にも一人一人が微妙に違った意味を自分の中に持っています。私がこう思って使っている言葉はある人にとってはちょっと違った意味合いを持つ事もあるのですね。時々思いもしない誤解が生じる事もあります。「そういう意味で言ったんじゃなかったんだけどなぁ・・・・」という思いをした方は多いんじゃないでしょうか?
違う国の言葉となると、文化の違いもありますから、正確に訳す事が不可能に近いこともあるのかも知れません。日本の「わび」「さび」が理解されるようになったのはそんなに古い事ではありませんし、実際に理解できている外国人は少ないのかも知れません。逆に多くの外国の言葉、言い回しは日本人には理解することが難しいものもあるのでしょう。
同じ日本人同士でもその地方の人にしかわからない事もあるのかも知れません。普段、ごく普通に使っている単語にも人によって微妙な温度差があります。
「しみる」と言う言葉にも人によって微妙な意味の理解の差があります。私個人的には、歯が「しみる」という言い方は、冷たいものに触れると(甘いものでも・・)ジワァ~っと「シミル・・・」ような感覚で捉えています。ものを噛んだときに痛むときは、「痛い」です。
ただ、ひとによって「しみる」が私の「痛む」と同意語として使われている方もいまして、そういう方は噛んで痛む時にも「シミル」と言います。「固いものを噛むと、しみるんです。」と言った言い方をします。患者さんがただ「しみるんです」と言うのを聞いてすぐに「冷たいものに沁みる」と判断してはいけないのです。どういう時にしみるのかを聞かねば判断は出来ません。
私たちが患者さんを診るにあたって問診をしますが、その時にどういう種類の痛みなのか・・・、冷たいもの、熱いものにしみるのか?噛むと痛むのか?何もしなくとも急に自発痛が起きるのか?ズキズキ脈を打つように痛むのか?そうではなくコンスタントにずーっと痛むのか?そういう症状を正確に把握することが正しい診断、治療法の選択に重要な役割を持ちます。
そこで言葉の意味を取り違えると正しい診断が出来ず、患者さんの苦痛に対応できなくなる可能性がありますから、慎重に聞きとらなければなりません。新米歯医者だった頃はまだそういう事に慣れておらず、うまく対応出来なかったこともありました。
痛みの強さだって、人によっては誤解しやすい言い回しをされる方がいらっしゃるので、念をおしてお尋ねをすることもしばしばあります。かなりの年数を経た今でもまだまだ修行の身だなぁ・・・。と自分を引き締めている毎日です。
歯医者の仕事とは関係なく、人間関係であったり、いろいろな事でコミュニケーションをとることの難しさを思い知らされた事も多々ありますが、そういう一人一人の言葉の定義の差を考えるようになったのは、患者さんの問診から気づかされたのかも知れません。
大学時代にスピーチのクラスがありました。(アメリカの大学では必修科目です)英語の下手な私が大の苦手にしていたクラスですが、ひとつ40年以上たった今でもよ~く覚えていることがあります。
教科書の最初に書いてあったことです。
「二人の人間が会話をするときに、そこには6人の人間がいる。貴方が自覚している(こういう人間だと思っている)貴方、貴方が自覚している(こういう人間だと思っている)相手、そして相手から見た同様の二人、そしてあなたたちの知らない本当の二人、計6名が存在する。」
そう、言葉、単語の意味だけでなく、自分自身の理解度についてもそれぞれの個人差があると言う事です。いやぁ・・・、このめんどくさい人生をよくここまで生きてこれたものだわい(笑)。