アメリカ西部にフォーコーナーズと言う場所があります。50州あるアメリカ合衆国の州境の中で、一か所だけ4つの州の州境がある場所です。
北にユタ州、コロラド州、南にはアリゾナ州、ニューメキシコ州がある一点です。何もない砂漠の一か所に記念碑とお土産物屋さんがあります。
そしてその近くにモニュメントバレーと言う名所があります。昔の西部劇でよく使われた場所ですから、知らない方でもなんとなく見覚えがあるかも知れません。
ここにはアメリカ先住民のナバホ族の居留地があります。英語でreservationと言いますから、保留地とも言うようです。アメリカのインディアン(この言葉は今は使うべきでないとされているようですが)居留地のなかでは一番広いものだそうです。
そしてその地域に私の行っていた大学の病院がありました。病院には歯科もあり、私たちロマリンダ大学歯学部の学生は卒業前に1か月間そのサテライトクリニックで治療することが臨床実習の必須科目になっていました。
1982年、私は2人の同級生とモニュメントバレー・アドベンチスト・ホスピタルに派遣されました。貴重な体験をさせてもらいました。
そこはアメリカの中の外国、ナバホの国でした。Navaho Nation として一定の自治権を持ちその土地を領有している一つの国です。伝統を引き継いでいくことを大切にしているナバホカントリーでは子供たちは英語を話せませんでした。(当時のことです。今はどうか知りません)ナバホ語で育ち、(おそらく)学校に行くようになって英語を学び話せるようになります。
また1980年代の当時は老人たちの中にも英語を話せない人達がいました。西部劇に出てくるようなお話の中にはまだ100年もたっていない事件も多かった時代です。ブッチ・キャシディーがワイルドバンチを作ったのが1896年、南アメリカに行ったのが1901年だそうですから、その頃のナバホの子供が居留地でナバホ語で育ち英語を習わぬまま老いていったと言う事なんでしょう。
病院内の歯科のスタッフ(歯科助手)は殆どがナバホの女性でした。私同様に彼女たちにとっても英語は第二外国語(勿論私よりはるかに上手ですが)であり、英語が下手で顔の系統が似通っている私には親近感が湧くようで、とても親切にして頂きました。夜には併設されている体育館で一緒にバスケやバレーボールをして楽しみました。
ここへ行く途中にフラッグスタッフと言う町があります。標高2000メートルの高地にあり、よくスポーツ選手が高地トレーニングに行く場所なので名前は知れて来ました。ジャズで有名な「ルート66」と言う歌がありますが、その中にも「Flagstaff of Arizona・・・♪・・・」と、歌詞にその名前が入っているようにルート66という幹線道路沿いにあります。
モニュメントバレーはそこを通って300キロ弱ですね、フラッグッスタッフほどではありませんが、標高1700メートルの高地です。ちょっと走ると息苦しくなります。インスタントラーメンをいっぱい持って行きましたが、沸点が低いため、ゆであがりが悪くあまり美味しくなりませんでした。
いろいろ思い出してくると話がつきなくなります。また別に機会に続編を書きましょう。ちなみに私が一か月過ごした病院はその後数年(?)内に閉鎖されたそうです。連邦政府のネイティブアメリカン援助のための補助金が大幅にカットされて経営出来なくなったためです。
殆どの患者さんはナバホの人達でしたし、彼らは経済的には苦しい生活を送っていましたから、その援助のお蔭で医療サービスを提供できたのです。去年から当医院で手伝ってくれている根本先生が教えてくれて初めて知りましたが、私の学年がモニュメントバレーの病院に派遣された最後の年だったんだそうです。それを知ってなんか淋しく感じたのはなんでなんだろうか・・・?
病院の写真などはネットでも見つかりませんでした。歴史の中に埋もれてしまったかのようです。
毎年お祭りにこうして民族衣装を着て踊るそうです。日本人が着物を着てお祭りで盆踊りをするようなものかな(笑)?