いつだったか、テレビをつけてみたら、あるカナダ人の落語家の特集のようなものをやっていました。桂三輝(かつらさんしゃいん)と言う方だそうです。桂三枝(文枝)のお弟子さんなんですね。
その方が数年前から海外で落語の公演をしているとの事で、その様子などが紹介されていました。ニューヨークのオフブロードウェイの小さな箱で公演している映像では満席のお客さんの笑を誘い、老若男女の外国人を楽しませていました。
噺の前に前説で日本語の事、落語のことなどをお客さんに説明してから本題に入るようですが、こうして日本の話芸を海外の方々に伝えようとしている三輝さんは凄いなぁ・・・、と思いながら見ていました。丁度その少し前に、同期会で落語の話で盛り上がったなぁ・・・、と言うタイミングでもありました。
見ていると、本当に表情豊か、体いっぱい使って表現します。その表情だけ見ていても笑えるくらいです。見ながら、かなり昔に、故桂米朝さんのお話(落語ではなく、対談・・・ですかな?)をテレビで観たことを思い出しました。
特に落語に興味を持っている訳でもない私なんですが、米朝さんの話には妙に引き込まれ、そしてとても驚かされました。噺をする中で、言葉だけではなく、あらゆる仕草、動作、音を使って表現の幅を広げている、と言う事を教えてくれました。
扇子や指でこつんこつん、トントンと床を叩く。音質、大きさなどで人が遠くから歩いてくる様子、物がぶつかったり落ちたりする様子・・・。いろいろなシチュエーションを身体、小道具を使って表すんだというようなことを話されていました。
他にもいろんなことを教えてくれたはずですが、殆どん忘れています(笑)。でもその時に、「まさに芸術だなぁ・・・」と思ったことはよく覚えているのです。人間国宝に認定された米朝師匠の言葉には深みがありました。
そういった事を聞いて初めて知るような技術を絡めた話芸だからこそ、お客さんたちが魅了されるのかも知れませんね。知らぬうちに落語家という芸術家たちのお噺以外の音、仕草等で臨場感を味あわせてくれていたわけなんでしょう。それらが噺を何倍にも楽しくしてくれていたのですね。
落語好きの方には、昔の音源を聴いて楽しまれる方も多いそうですが、やはり映像がないと、その芸の一部は見逃しているのではないでしょうか?また映像があっても生(ライブ)の臨場感は伝わって来ないかもしれません。
ボブ・ホープとか、コント55号とか、一世を風靡したコメディアンの最盛期には、何も話す前から、舞台の袖から歩いてくる姿を見ただけで吹き出してしまうような雰囲気を持ち合わせていました。林家三平さんなんかもそうだったなぁ。なにかオーラを纏っているかのようでしたね。一芸を極めた・・・、と言うのでしょうか?
落語でも、一言も言葉を発することなく、身振り、表情だけで観客を爆笑させることだってあります。芸ってすごいですねぇ。それでも「話芸」と言うんですね(笑)?
音楽ファンの中にも、ライブにはあまり行かず、レコードやCDで音を楽しむ事を好む方々も多いようです。話芸ほどではありませんが、やはり生演奏を目の前で観、聴いてみると、演奏者たちの表情、お客さんの熱気、暖かい空気に満たされた空間を知らず知らずに感じているからなのかもしれませんが、とても感動することがあります。
これは音源だけ聴いていたのでは分からない部分なんだと思います。だからライブに行くのはやめられません(笑)。桂三輝さんの頑張りを見て、ジャズにまで思考が流れて行きました(笑)。三輝さん、頑張ってほしいですね。