先日「丸真正宗」の事を書いていて、酒井伴四朗の本の事が頭をよぎりました。
「幕末単身赴任・下級武士の食日記」と言う題が付いています。紀州藩士酒井伴四郎が江戸へ単身赴任中に書き記した日記を元に書かれた本ですが、これがまた面白い。
かなり前なんですが、運転中にたまたまラジオで放送大学を聞いていまして、その時にこの本を題材にして江戸時代のグルメ事情などを講義していたのがとても興味深く、早速購入しました。一度も完読しておりません(笑)。時々パラパラと開けては読み、へぇ~!フムフム・・、などと一人で楽しんでいます。
ラジオで聞いた話には酒井氏が江戸の蕎麦を食べて、紀州の蕎麦と比較していた表現が面白かったことを覚えていますが、この本の中には当時の食事情、暮らしぶりなどが存分に披露されています。
両国に「ももんじ屋」という老舗があります。一度だけ行ったことがありますが、この本には、肉を売る店を「ももんじ屋」と言う・・・、と書いてあります。じゃぁ・・・、ももんじ屋はあちこちにあったのかなぁ?
日本では肉食は、半ば禁忌とされていたのでしょうが、「猪や鹿を滋養や健康のために食べることはあり、それを薬食いと呼び、肉を売る店を「ももんじ屋」と言い、店頭には「山鯨」の看板を出しました。」とあります。
他にも牛や豚も売っていたようです。まだ焼いて食べる文化はなく、鍋にしていたそうです。両国(森下)には馬肉料理の老舗もあり、今では馬刺しが人気なのですが、当時はどうだったんでしょうね。元は江戸には麹町に一軒の獣肉店があるのみだった・・・。、と書かれていることも興味をひきました。この近くだったんですね(笑)。
「伴四郎の生きた幕末から明治にかけて肉食が徐々に市民権を得て行ったのだが、他の資料にも肉を食べていた記述は見られ、我々の想像以上に肉食が浸透していたのかも知れません。」とあります。
さてお酒の話ですが、まだ当時は「下り酒・・・、池田や灘から江戸へ下って来たものがもてはやされていた、」とあります。しかし「江戸自慢」(紀州藩の医師原田某が書いた、藩の勤番侍の為の江戸のガイドブックなんだそうです。)によれば、「江戸の酒でも上等なものは口当たりも良い・・・、値段が非常に高く、酔いの醒めるのもいたって早い・・・、鯨飲の人間は、たちまち財布の底が空になって・・・・、昔も今も呑み助の事情は変わらないようで、耳の痛い話です。」と書いてありました。
はは~ん、この作者、青木直己さんもかなりの呑み助なんだな(笑)・・・。
先日書いた「丸真正宗」の小山酒造さんは明治11年創業だそうで、まだ、この当時には存在していなかったんでしょうが、他の東京の酒蔵には江戸時代創業の蔵も多く、また今はない多くの酒蔵がそちらこちらにあった筈です。先日の「丸真正宗」のブログを書きながら、そんなことに思考が流れました。
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