亀戸駅までの遊歩道の桜並木、ここ数日の暖かさで今にも開きそうな蕾があちらこちらに・・・。
今年も春を迎えられます。感謝です。
2014年3月17日 カテゴリ:日々のこと

歯科大を卒業するまでにひととおり専門医の仕事の基礎を習いました。小児科も基本的なことは学び、数人の子供の患者さんの治療もしました。
アメリカでは小児科も専門医としての訓練を受けて、試験に通って資格を得ます。歯科大卒業後にGraduate school へ入り専門的な知識とテクニックを身に付けます。
ですから私は本当に基礎の基礎しか知りませんが、知っている事を書いてみます。
まず、歯医者の待合室から一般歯科とは違うでしょう。お子さんたちが気持ちよく、楽しくなるような工夫をしている事でしょう。おもちゃ、人形、絵・・・、他にもきっといろんなものが置いてあったりするかもしれません。よく小児歯科の窓には楽しそうな絵がはってありますね。
私たちの時代には小児歯科医は白衣を着ませんでした。マスクもしません。子供が少しでも違和感を抱くことを避けるためです。元々白衣を着る一つの理由は自分の服を汚さないことですが、ここではそうも言っていられません。(一般歯科でも白衣を着ないドクターが多かったですよ)
ドクターは患者さん(お子さん)と話す時にしゃがんで目の高さを同じにします。大きな大人が上から見下ろして話すのは子供から見たら威圧感があるからです。
使う言葉にも気を付けます。使ってはいけない言葉が多々あります。「いたい」、「こわい」、「けずる」、「ちゅうしゃ」・・・いろいろリストがありました。その代替用語のリストもありました。(かなり忘れてしまいましたが)
怖そうな器具は極力見えないように心掛けます。逆に水や空気が出るシュリンジがユニットに付いていますが、水鉄砲のように遊ばせながら、こういうものを使うことけど、怖いものではないことが自然にわかるようにしたりします。
保護者は診療室に入れません。甘えるからです。親が助けてくれると思って泣いたりします。子供は割と打算的なところがあります。これも子供の純粋さのひとつかもしれません。
いろいろ楽しい話をしながら出来るだけ早く治療を終えます。乳歯は、永久歯に代わるまでの数年間痛まずに使えればよいので、大人の歯ほど丁寧に治療することもないのです。早く終わらせる、子供にとって楽に、という事が優先されます。
終わって帰りにはおみやげを貰います。小さなものでも貰えると嬉しいものです。こうしてお子さんたちが楽しい時間を過ごし、また遊びに来てね!と言ってさよならします。
何歳くらいの子にはどの程度の治療をするか、とか非協力児への対応の仕方とか、残念ながら、私はそこまではわかりません。専門的な訓練、学習はしていませんから。
子供のときの経験は一生つきまとうことがあります。歯医者ぎらいの人の大半は子供の時にいやな思いをしています。いい小児歯科で治療をうけられた方は比較的歯の治療に対する恐怖心が薄い方が多いですね。
私は子供が歯医者嫌いにならないように治療する自信は全くありません。そのためのトレーニングは受けていないからです。お土産もおいていないし、うちの待合室は子供にとっては殺風景なものでしかないかもしれません。私はシンプルでいいと思っておりますが・・・。
私が勉強したときから30年以上過ぎました。今はもっといろいろな工夫をしているかも知れませんね。日本の歯科大でどういう教育をしているのかは知りませんが、基本的には同じことをしているはずです。
若い親御さんたちには、子供たちのためにいい小児歯科を見つけてくれることを願ってやみません。そうして歯医者を好きな患者さんが増えてくれたらいいなぁ・・・。小児歯科の先生方、宜しくお願い致します!
2014年3月13日 カテゴリ:アメリカの歯医者の話, 歯の話
先日バスケのことを書いたらいろいろ思い出してしまいました。
私がアメリカに初めて行った時、まず大学の寮に入りました。1973年当時はもちろん携帯電話などありません。各部屋に電話もないし、個人的にテレビを持っている学生もいません。
寮のロビーにテレビが置いてあり、みんなでワイワイ言いながら見ました。次の年の春、NBAのプレーオフシーズンですが、ある晩テレビの前にみんな集まって大騒ぎしながら見ていました。
なにかと思ったら、ボストン・セルティックス対ミルウォーキー・バックスの決勝戦だったらしいです。私は日本にいるときからバスケットボールは好きで遊びでは、やっていましたが、その程度だったのでNBAの知識は殆どありませんでした。
学生寮のロビーのテレビの前で学生たちが盛り上がっている姿を見て、NBAの人気に驚いたこと、そして、そのすごいプレーに仰天して私もみんなにまじって観戦しました。
バックスのセンターはあのカリーム・アブドゥル・ジャバー、ボストンのセンターはデイブ・コゥエンスでした。コゥエンスはたしか6フィート・8インチ、2メートル2~3センチです。今はこんなに小さいセンタープレーヤーはNBAにはいませんね。
ボストンのパワーフォワードはジョン・ハヴェリチェック、彼は6フィート5インチ、今ではガードでも小さいほうかもしれません。
そのあとバスケ大好き人間になった私はいろいろな事を知り、NBAの知識が増えて行きました。そしてずいぶんあとに発見したことは、なんとあのゲームはBig-Oことオスカーロバートソンのラストゲームだった可能性が高いんです!
ジャバーはまだゴーグルをしていませんね、後ろにいるのがBig-Oです。
NBAのことをよく知るようになって、オスカー・ロバートソンと云う伝説的な選手がいたことを知り、ライブで彼のプレーを見たかったなぁ、とずっと思っていたのですが、実は彼の引退前の最後の試合があのボストンとのプレーオフだったのですね。リアルタイムで彼のプレーを見ていたことに気づいていなかったんです。
カリームはあのフックショットが印象的でよく覚えていますが、アシストとかガードのプレーに関しては知識ゼロでしたから、残念ながらBig-Oの印象は残っていません。
Big-Oは6フィート・5インチ、当時のガードとしてはかなり大型の選手でした、あのころはNBAでも180センチ以下の選手も結構いましたから、のちのマジック・ジョンソンみたいな感じだったんでしょうね。(マジックは確か6フィート9インチくらいでしたか、ガードですが、当時のボストンのセンターより大きかった訳です)
トリプル・ダブルを達成した回数はマジックよりはるかに多く(おそらくこの記録はだれも破れないでしょう)なんとダブル・トリプル・ダブルを達成したこともあります。ポイント、リバウンド、アシストすべて20以上・・・・。他には誰もやったことはありません。
ウイルト・チェンバレンの一試合に100得点という大記録と共に、もう誰も破れないだろう記録をいくつも作った、まさにレジェンドです。もう一年早くアメリカに行っていればそういう事も知った上で彼のラストゲームを見て感動していたかもしれません。
1973~1974シーズンのNBAプレーオフ、私は19歳、初めてNBAの迫力にふれた年でした。
2014年3月12日 カテゴリ:アメリカの思い出, スポーツの話
大きくなりましたねぇ・・・。先日映画を観に錦糸町まで行く途中で2メートル以上はあるだろう、と言う若者が前を歩いていました。
電車に乗るとまたひとり、もっと大きいかもしれない男性が同じ箱に乗っていました。ほんとに今の若い人たちは大きくなりました。
私の年代では私は大きい方でしたが、今はもっと背の高い人がごろごろいます。今でも覚えていますが、私が小学生のときは日本人の平均身長は(男性)164センチでした。今の20代の人たちの平均は172センチくらいらしいですね。
私が学生の頃(確か歯科大にいた頃だと思います)バスケットボールの男子日本代表チームがアメリカ遠征にやって来ました。
たまたま私のいたところのすぐ近くの短大チームと試合をするということを聞き、見に行きました。日本代表には2メートル以上の選手が二人、北原で選手と岡山選手です。わたしと同年代で、日本を代表するエースでした。
このころまでは日本代表はアジアで中国とさほど差のない強いチームでした。バスケットファンの方はよくご存じでしょうが、岡山さんは本当に大きかった(2メートル30くらい?)です。
アメリカにもあれほど身長のある人はいませんから、相手の選手も観客もびっくりしていました。試合の方はというと、いい試合をしましたが、接戦で敗れたように記憶しています。
最後のほうで岡山選手が相手の選手とケンカになりかけた事には驚きました。彼と北原選手はアメリカ留学経験があったので英語がわかったんでしょうね、ラフプレーに加えてかなり悪い言葉をかけられたんじゃないかなぁ?温厚そうな岡山さんがかなり激高してました。
短大の体育館での試合でした。NCCA,Division1の大学の大きな体育館とは違います。普通の高校の体育館のような場所です.
アメリカの強豪大学とは力の差がありすぎて試合にならず、強化の役に立たなかったのでしょうね。こうして地方の短大チームと試合をこなして頑張っていた日本代表でしたが、このころからアジアでも勝てなくなってきました。
もう30年以上オリンピックに出ていないのかな?モスクワは日本チームがボイコットしたんだったかな?あのころは2メートル以上ある選手は数えるほどしかいませんでしたし、戦術も遅れていたのでしょうか。
今では高校生の試合に2メートル以上の選手がいっぱい出てきます。簡単にダンクをします。昔の北原選手も岡山選手もやっとダンク出来る程度だったのに・・・。岡山選手は体重もあって、多分ジャンプ力30センチくらいだったですね。
この高校生たちが順調に成長してくれて、またアジアの代表としてオリンピックに行ってほしいと祈っています。
2014年3月11日 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと
野球ファンの方はよくご存じだと思いますが、ジョーブ先生がなくなりました。トミー・ジョン手術で多くの野球選手の復活に大きな役割を果たした方ですね。ご冥福をお祈りします。
彼はわたしの出身校であるLoma Linda 大学の医学部の卒業生です。私の弟は同じ医学部出身なのでまさに大先輩です。弟に言わせると、L.L.Uの一番の有名人だね・・・、だそうです。
調べてみたら、彼は「Band of Brothers」と言うドラマシリーズ(何年前でしょうか?かなり話題になりました)で有名な101空挺師団で衛生兵だったらしいです。ノルマンディー上陸からバルジの戦いまで参戦、一時は捕虜にもなったとか・・。
軍の退役者に与えられる奨学金で大学に入り、(ラ・シエラ・カレッジからロマ・リンダ大に進んだのは私た兄弟と同じです)医学部を卒業しキャリアを築いていったそうです。先輩だと言うことは知っていましたが、そういう経歴については知りませんでした。
全く面識もないのですが、大学の先輩であることには違いないので、何か感じるものがありました。
見て来ました。友達に「良かったよ」と、だいぶ前に言われて行きたかったのですが、やっと行けました。
歳とともにたるむ体同様に涙腺も緩んできておりまして、こういう映画を観るときにはハンカチが欠かせなくなりました。
百田さんの発言が最近物議をかもしていますが、伝えたいことはよくわかるのですよね。論点によっては、まぁ少し語彙を変えてもいいかなと思うこともありますが。
この映画の最後のほうで、そのとき、一人ひとりにそれぞれの物語があったんだ・・・。と語るところがありました。これ戦争云々と拘わらずともいつの時にもそうなのだろうな。自分には図り切れないことがいつも多々あるのでしょう。
それにしてもCGの進化はすごいですねぇ。ちょっと前なら考えられない映像を実写のように見せてくれますね。
話はかわりますが、実は私はゼロ戦おたくなのです。実際はそれほど細かいところまで知識はありませんから「おたく」と言うのは本物のゼロ戦好きの方に失礼かな?ゼロ戦マニアくらいにしておきますか?
多くの戦争映画では私から見るとおかしいシーンがよく見られます(増槽を付けたままで戦闘したり)が、この映画ではよくそういうところも正確に作っていたのは日本の映画では珍しいです。いろんな意味でよくできた映画だと思いました。勿論感動も与えてくれました。
ひとつ細かいことを言わせて頂くと、ゼロ戦の時代にはもう巴戦で戦うことは殆どなかったということを多くの当時のパイロットたちが言っていますが、まぁこのほうが映像的には面白いですからいいかな?
友人が言っていた通りサザンのエンディング曲も良かったですね。歌が終わっても目が乾くまで座っていましたが、だれも席を立ちませんでしたね。最後までみてたら、なんて多くの人が映画作りに関わっているんだろう…(クレジットの名前の多さを見て)と思いました。
昨日アカデミー賞の授賞式を見ました。これを見ているといろんなことが思い出されて、話をし始めれば終わらない、と言う人はいっぱいいるんじゃないでしょうか?
監督賞のプレゼンターとしてシドニー・ポワチェが出ました。さすがに歳をとったなぁ。黒人として初めてアカデミー賞をとった俳優さんですね。
ノミネートされていたマックィーン監督がとれば、黒人初のアカデミー賞俳優から黒人初のアカデミー賞監督にオスカーを手渡していたところでしたが(劇的な演出ですね)、残念ながら監督賞はとれませんでした。(最後に作品賞をとったのだから残念とは言えませんか?)
日本アカデミー賞が出来たとき、黒沢明監督が「日本には映画アカデミーすら無いのに、なにがアカデミー賞だ!」と怒っていたことも思い出されます。おっしゃる通りですよね。
さてシドニー・ポワチェですが、「野のゆり」でアカデミー賞をとりましたが、私に強烈な印象が残っているのはやはり「夜の大捜査線」ですね。原題は「Heat in the Night」でした。
彼が南部の小さな駅で汽車から降りて来る時のいでたちはまさに私たちの年代で流行った「アイビールック」でした。ボタンダウンのワイシャツに三つボタンの真ん中だけボタンをはめたスーツ姿、かっこよかったですねぇ・・・。
許せないのは私の憧れだったジョアンナ・シムカスと結婚したことです。本当に素敵な女性でしたが、結婚後俳優から引退してしましました。
「冒険者たち」ではアラン・ドロン、リノ・ヴァンチェラと共演、いい映画でした。「オー」ではジャン・ポール・ベルモンドと共演するなどフランス映画に出ていたのでてっきりフランス人かと思っていたら、カナダ人だそうです。カナダにはフランス語圏がありますものね。
また古い映画を観てみたくなりました。ちなみに「夜の大捜査線」では共演のロッド・スタイガーがアカデミー主演男優賞だったんですよね。いい演技でした。数年前の「質屋(Pawnbroker)」でもノミネートされていたと思います。話が止まらなくなりそうです。
30年前に日本に帰って来たときに驚いたことがいくつかありました。その一つは医療費の差です。
大学でもかなりの人数を治療してきて、医療費はこんなもんだという理解をしていました。アメリカでは歯科大で学生が治療するときの治療費は、普通の歯科診療所の半額程度です。
学生が治療しますから遅いです。でもステップごとに指導医のチェックを受けますから治療の質はとても高いと言えます。ですから結構遠いところから(一時間以上かけても)いらっしゃる方も大勢いました。
見づらいですが、これは数年前に歯科の専門誌で見つけた、日本、アメリカ、スェーデンの歯科医療費の比較です。私がいたころ(1973~1983)のアメリカではこの表の半額以下だったように記憶しています。
例えば、奥歯が虫歯で痛みが出たときですが、ほとんどの場合根管治療から始まります。日本では8700円、アメリカは15~20万円ですね。そのあと歯を保護するためにクラウンをかぶせなくてはいけませんが、これが日本では1万2千円強、アメリカは15~20万円です。
日本の保険治療では患者さんはその3割を負担します。つまり日本で6千円かかる治療費はアメリカで同等のことをすれば30万円以上かかると言うことですね。
クラウンに関しては、アメリカや先進諸国で使う主な材料(セラミック、金、ジルコニア等)は日本の保険ではカバーされませんから、そのような(外国では普通、標準の)治療は日本では自費診療として各医院で費用が違います。
私の医院では12万円前後です。根管治療は保険でカバーされますから、私たちはアメリカやスエーデンの歯医者さんたちの2割以下の報酬しかいただいていません。
みなさんは日本の医療費は高い、と思わされて来ていますが、他の先進国と比較して書かれた記事などを読まれたことは少ないのではないでしょうか?前記のように同じ治療の単価は日本は他の先進国よりはるかに低い水準に抑えられています。
ヨーロッパの保険制度については私は殆ど知識がありませんが、多くの国で何らかの社会保険制度があるように聞いています。
国によって制度も運用の仕方も違うのだろうと思います。ある国では定期検診を義務付け、それを守った場合のみ保険治療を受けられる制度があると聞いた記憶があります。
アメリカでは社会保険制度はありません。(低所得者向けの、いろいろ制約のある保険はあります)ですから痛みに苦しんでいる人でも治療を受けられない事がままあるのです。
これは社会問題にもなっていますから、以前から政府は新たな保険制度を立ち上げようと議会と交渉を続けています。でも医療とはお金がかかるものなんですね。難しいと思います。
日本では個々の治療に関して診療報酬が低く抑えられているおかげで殆どの人々が治療を受ける事が可能です。これはとても素晴らしいことですが、施設の維持、更新等には医療機関はとても苦労します。
治療の質に関しては頑張っていますが、使える材料は限られます。人件費も上げられないし、技工士さんたちや、材料業者さんたちもかなり苦労して経営しています。
ま、大変でない仕事なんてありませんから・・・。
ときどきマスコミが医院(医であったり、歯であったりですが)の一か月の収入は・・・と言う記事を作ることがありますが、収入とは売上であって利益ではありません。収入マイナス経費の利益が・・・、と言う記事はあまり見ませんね。何故なんでしょうか。
歯科の場合、一度のアポイントメントにかかる治療費の平均は4千5百円程(3割なら千5百円)だそうです。治療によっては大きなケースでは患者さんの負担が1万円を超えることもたまにはあります。少ない時は2百円くらいのときもあります。
高いと思われるかも知れませんが、患者さんがお支払いになった額の約3倍が私たちの取り分だと思って頂ければ、私たちの収入はわかります。そこから家賃、人件費、技工料金、etcを引くと利益になります。
他の国々と比較してしまうと悲しい報酬ですが、日本のみなさんはいつでも(他の国よりはるかに安い費用で)だいたいのケアは受ける権利がある、と言うことは素晴らしいことだと思います。
アメリカの大学で救急歯科のローテーションに入った時、簡単に痛みを取ることが出来、治療可能なケースなのに、それをするための費用がないため、(抜歯のほうがはるかに安く済むことも多く)抜かざるをえなかったり、痛み止めを処方することしか出来なかったこともありましたから・・・。
2014年2月24日 カテゴリ:アメリカの歯医者の話, 歯の話
やってくれましたね。村田選手、アマチュア世界一の力が進化しています。ボブ・アラムさんが期待をこめて、大事に彼を育てるべくいいマッチメイクをしてくれている事もありますが、彼の実力あってこそだな。
始めの2ラウンドは頭を振って新しい村田を見せていましたが、やや(私の目には)ぎこちなかったですが、3ラウンドの途中からはそれをやめて前に出ました。
アップライトではなく前傾姿勢をとるところは良かったと思います。前の試合に比べてエルボーガードでボディーへのパンチをうまくガードしていたのは大きな成長かと見えました。
いいアッパーでチャンスを迎えてもはやらずにガードを固めて、慎重に決めに行きました。素晴らしい落ち着きですね。(さすがにアマの世界チャンピオンです)
日本のボクシングの歴史を変える重量級の期待の星です。順調に成長して、近い将来に世界を驚かせるボクサーになってくれることを本当に祈っています。
いつの間に、日本ボクシング史上最高の黄金時代になっているのかも知れません。村田、内山、井岡、八重樫、井上、河野、山中、・・・長谷川穂積君は・・うーん、頑張ってほしいけど・・・。
これから楽しみな試合がいっぱいです。
2014年2月22日 カテゴリ:スポーツの話