新原歯科医院

院長ブログ

カテゴリ: スポーツの話

世界卓球選手権

今、日本で世界卓球選手権(団体戦)が開かれています。私は中学、高校と卓球部だったので(3回戦ボーイと呼ばれていまして弱かったです)懐かしく感じながらテレビで観ています。

 

やはり男子の試合はすごい迫力です。一度皆さんにも観て頂ければ、楽しめると思います。

 

私の子供の頃は卓球はすごい人気のある競技だったんですが、急激にマイナースポーツになってしまいまして、私の高校時代は卓球の暗黒時代でした。福原愛さんのおかげで、またテレビ中継をしてもらえるようになりました。

 

日本の選手たちも強くなり、いい試合を見せてくれます。この連休中に一度、代々木第1体育館に行ってみたいと思っています。

 

私が高校生のときですが、卓球協会の偉い人が愛知県の人だったからなのか、暫く日本選手権は愛知で行われていました。

 

なぜか一度だけ久々に東京に戻り、台東体育館でやった年がありました。授業を終えて、我ら墨田川高校卓球部員たちは即行でバス(だったか、都電だったか)に乗り隅田川を渡って浅草へ!

 

体育館の入り口で切符を買おうとしたら、切符売り場に誰もいません。中を覗いて声をかけると、一人走って来ました。「君たち、いいから入りなさい!」

 

もう決勝戦が始まっていました。元世界チャンピォン同士、長谷川選手対伊藤選手の素晴らしい試合に、切符売場の人達も自分の仕事を放り出して観ていたんですね。

 

愛知県体育館でやっていたときは空席が目立ちましたが、久々の東京開催でもあり、凄い組み合わせになったこともあり、超満員でした。

 

40数年前のことですが、あの熱気に包まれた台東体育館での日本卓球選手権男子個人戦決勝の様子が昨日のことのように思い出されます。古き良き時代でした。

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長谷川・山中W世界タイトルマッチ2014/4/23

今日は録画予約を忘れてしまい、大急ぎで帰りましたが、長谷川戦は終わっていました。帰りの電車の中で携帯のニュースでTKO負けを知りました。

 

かつてバンタム級を10回防衛した彼のキャリアはここで終わってしまうのでしょうか。

 

タイトルを失ったあとの3年の間の彼の試合を2度ほど見ましたが、全盛期の長谷川選手の軽やかなフットワーク、ダッキング、正確なカウンターは見られませんでした(私の個人的な感想ですが)。

 

このタイトルマッチが決まっても私は不安を感じていましたが、残念ながら私の不安は的中してしまったようです。

 

相手も強いチャンピオンでしたが、全盛期の長谷川選手なら・・・。これほどの強いボクサーでありながら3年間かかってやっと世界戦が実現したのですが、やはり彼のピークは過ぎてしまっていたように感じます。

 

力のあるジムであればもっと簡単にチャンスを貰えたんだろうなぁ・・・。そんなことを言っても始まりませんが、もう少し早く試合を組めていたら・・・。彼はやり切った表情にも見えましたが、ファンにとっては残念でなりません。

 

山中選手は強かったですね。ワンーツーだけでここまでの強さを見せる選手はどこにもいません。

 

ただ相手は勇敢でタフで根性がありました。他のコンテンダーなら3回くらいKOされていただろう、と思うような強いパンチを受けながら決して下がらずワイルドな危険なパンチを振り回しました。

 

山中選手もいいパンチを食らっても立ち上がる姿に「まいったなぁ・・」と言った表情を隠しませんでした。

 

終盤にはまともに挑戦者のワイルドなフックを貰いましたが、そのころには挑戦者は山中選手のパンチのダメージでパンチに力がなく、救われました。

 

耐えて耐え続けた挑戦者でしたが、最後には一番苦しいボディーへのパンチで崩れ落ちました。左ストレートでのリバーブローなんて山中選手ならではのKOパンチでした。あれは苦しいだろうなぁ。

 

山中選手にはもっともっと強くなって世界の舞台で活躍してくれることを期待します。出来れば最後のインタヴューで相手の健闘を称える言葉もほしかったですが、それも次回の修正点として期待したいですね。

 

圧倒的な強さを誇った長谷川穂積選手が敗れ、山中選手が強さを見せつけました。先日のパッキャオは勝ったものの。彼のトレードマークの鋭い踏み込みからの右は見られませんでした。

 

時代が少しずつ変わっていくことが感じられます。時は必ず過ぎて行きますね。

 

 

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Masters 

美しい美しいマスターズが終わりました。パーマー、ニクラウス、プレイヤーのビッグ3によるオナラリー・スタートで始まり、バッバの号泣で幕を閉じました。

 

私が小学生だった時にテレビで「ビッグ3ゴルフ」と言う番組がありまして、あの伝説的ゴルファーたちの全盛期のゴルフを見ました。その三人のスイングは昔と変わらぬ個性で感動させられました。

 

当時(昭和30年代)、ゴルフは庶民のスポーツではなかったですから、自分たちがプレー出来るとは思っていませんでしたが、子供たち(私たち)は教室の後ろで箒をクラブにして紙を丸めた球を打って真似をして遊んでいました。堀切小学校ではゴルフブームでした。

 

19歳の時にアメリカに渡りましたが、なんと映画を観に行くより安くゴルフをプレー出来た事には驚きました。(一番安かったのは1ラウンド3ドル50セントだったです。デニーズでコーヒー一杯25セントでした。)

 

これじゃぁアメリカ人には勝てる訳ないなぁ・・・、と思ったものです。誰でも出来る値段ですから、層は厚くなります。みんなスニーカーを履いてプレーしていました。一時は私も毎週のようにプレーしていましたが・・・、上手くなんなかったなぁ。

 

バッバはジョージア大学で今田選手とチームメイトだったんですよね。その頃は今田選手はアメリカのジュニアランキングでタイガーウッズに次いで全米2位にもなったような有名選手だったんですが、ワトソンは殆どチーム戦には出して貰えない選手だったと聞いています。

 

今はかなり立場が変わりました。今田選手は下部ツアーで苦戦しています。2年前に前半好調で期待されていたのですが、肋骨にひびが入ってしまい、痛みで思うようなプレーが出来なくなりました。なんとかまた復活してくれることを祈っています。

 

マスターズを観ていていろいろな事を感じました。みなさんも同様でしょうか?話したいことがいっぱいですよね。

 

グリーン周りのパトロンたち、みんな(老いも若きも)短パンにポロシャツですね。南部のオーガスタ・ジョージアはもう暑いんですんね。日本では年配の方は(わたしもそう言われる歳になりました)ここまでカジュアルな服装はなかなか出来ないようです。ちょっと弾けて楽な装いもよいのではないでしょうか?

 

マスターたちはカップインした後、なるべくカップから離れたところを踏んでボールを取り、(みんなではないけれど)時には自分の足跡をパターでトントンと叩きスパイクマークを消します。

 

こういうところはゴルフを始めた方々には参考にして貰いたいものです。芝生を大切にして、次に来るプレーヤーに迷惑を掛けないようにしたいですね。ボールマークがたくさん残っているグリーンを見ると悲しくなります。

 

患者さんのHさんに(奥様とイギリス旅行に行った時のお土産の)セント・アンドリュースのグリーンフォークを頂きました。私は殆どパーオンすることがありませんんから自分のボールマークは出来ないのですが、他の方の作ったマークを直すのに、そのフォークが大活躍しています。

 

バッバ・ワトソンがスピーチをしたときに後ろに元国務長官のライス女史の姿が見えました。彼女はゴルフ大好きなんだそうですね。昔ゲイリー・プレイヤーが現役だったころ、このコースは黒人は足を踏み入れられなかったのです。(使用人はいたのでしょうが)

 

G・プレイヤーの母国、南アフリカはこの頃からアパルトヘイト政策が世界の非難を受けるようになってきた頃です。アメリカでも公民権運動で国が揺れた時代ですね。「グレート・マンデラ」と言う歌を意味も知らずに聞いていました。

 

そう言う時代にG・プレイヤーは敢て黒人のキャディーを連れてプレーしたのですが、(今でもそういうコースはあります。プライベートのメンバーズクラブですから選択の自由があります。名門サイプレスポイントはその為にペブルビーチ・プロアマから離れました。)今は黒人の、それも女性が表彰式のゲストに招待されるようになったのですね。

 

短い間のように思えますが、大きく時は流れているのですね。小学生だった私が還暦を迎えるまでの間にどれだけ時代が変わったのでしょうか。あっと言う間に時は流れていきます。

 

 

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マスターズ初日

松山選手、8オーバーです。厳しいスタートになりました。

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Georgia on my mind と Masters

ときおりゴルフのマスターズ・トーナメントのテーマソングがTVから流れて来ます。マスターズ・ウィークが近づいて来ているのですね。

 

初めて聴いたときは特に印象はなかったのですが、毎年聴いているうちに好きになって来ました。歌詞も、かつての名選手の名前であったり、伝説的なジーン・サラゼンのダブルイーグルの事などが盛り込まれていたりして、マスターズだなぁ、と思う曲です。

 

私がアメリカで学生生活をしていた1970年代には、マスターズの前週に同じジョージア州のアトランタで「アトランタ・クラッシック」と言うゴルフ・トーナメントが開催されていました。1967年から始まったそうです。

 

アメリカのTV局はスポーツ番組でも音楽をセンスよく使って演出します。NBAのプレーオフなんかも音楽の使い方が見事でした。このアトランタ・クラッシックのテーマソングには「Georgia on my mind」(我が心のジョージア)が使われていました。

 

番組のイントロで、陽炎が立ちのぼるような暑いアトランタの大地を遠くから一人の男が歩いてくるのが見えます。ゴルファーのようです。けだるい南部の暑さの中、かげろうに揺れながらゴルファーが歩いてくる。

 

そこにけだるそうな歌いぶりで「ジョーージァ・・・・、」と歌が流れてきます。いやぁ・・・・・、かっこよかったです!

 

タワーレコードに行ってドーナツ盤を買いました。歌手はウィリー・ネルソンでした。「On the Road Again」とか大好きでしたが、あのウィリーだったんだなぁ・・・、と軽く思っただけでしたが。

 

その頃はジャズも知らないし、レイ・チャールズの事も名前を知っている程度でしたから、この「我が心のジョージア」はウィリーの歌だと思い込みました。すぐ有名な曲だったことを知るようになりましたが・・・。

 

imgresウィリーはレイや、ウィントン・マルサリスともコラボしていますね。

 

だいぶ後になってから、この曲の入っていたウィリーの「スターダスト」と言うLPも買いました。そこらへんからジャズのスタンダードっていいなぁ・・・、と思うようになったのかもしれません。

 

さてこのころはまだマスターズにはテーマソングがありませんでした。ある年に「Augusta」と言う歌を使うようになり、それからずっと使われています。

 

今回ちょっとチェックしてみたら、デイヴ・ロギンスと言うシンガーソングライターが作って歌っているそうです。ロギンスと聞いてもしや・・・、と思いましたが、やはりあのケニー・ロギンスの親戚(いとこだそうです)でした。

 

音楽に詳しい方はご存じなんでしょうが、私はついこの間はじめて知りました。結構有名なカントリーの歌手だそうで、他のミュージシャンにも楽曲を提供したりしていたらしいです。

 

それはさておき、ここまで長々と書いてきた理由はと言いますと、なぜマスターズのテーマ曲が作られたのか?ということを話したかったからなのです。

 

私の個人的な感想ですが、おそらくマスターズを中継していたテレビ局や、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのマスターズ委員会の方々は、前週に行われていたアトランタ・クラッシックのあの歌を聴いて、うちも負けてはいられない、と考えたに違いないと私は思っているのです。

 

そしてロギンスに依頼してあのテーマソングが出来たんだろうと私は勝手に信じています。本当のところは知りませんが、それくらいあの中継のイントロ、エンディングに流れるウィリーのGeorgiaはかっこよかったですね、それと一緒にながす映像と共にです。

 

アトランタ・クラッシックはその後も名前や場所を変えて続いていました。最後はAT&T・ゴルフ・クラッシックという名前になり、今田竜二選手が2008年にその試合でPGA初優勝を飾りました。

 

実はその試合がアトランタ・クラッシックから始まった長い歴史を持ったトーナメントの最後の試合になりました。(後のAT&Tナショナルは別のトーナメントだそうです)

 

もう今は「Georgia on my mind」が流されることはなくなり、マスターズのテーマソング「Augusta」が名曲となってマスターズウィークの到来を私たちに知らせてくれます。

 

 

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第18回七高グリーン会ゴルフコンペat船橋カントリー倶楽部

東京では昨日、今日の強い風で咲き始めた桜が散ってしまいそうです。

 

一昨日、3月30日の土曜日はここまでの強風ではなく、好天に恵まれ高校同期会のコンペを楽しみました。4組16人のフルゲート、私は実力者のM君、T君、そして常任幹事のI君とのラウンドでした。

 

名門船橋カントリー倶楽部は距離もあり、小さな砲台グリーンはいつにない速さでみな翻弄されました。

 

私は、と言うと、ショットはまぁこんなもんだろう・・・、と言うところでしたが、またまた「アプローチ怖い」症候群が悪化し始めました。グリーン回りからダフリダフリで乗せるのに3~4回かかってしまったり、林からもダフリで出すだけなのに2~3打かかってしまったことが数回ありました。

 

同組のI君は以前からドライバーのイップスなんですが、気持ちがよくわかります。構えてテークバックしようとするといやぁーな感じがしてクラブをひけない、なんとか動かすのですが、ダウンの動きもコントロール出来ず早打ちのダフリ、トップの連続です。

 

少しずつ自信を取り戻しかけていたはずでしたが、やはりずっとイップスと仲良くして行くことになりそうです。ただパットは珍しく好調で大たたきは無く、まんべんなくトリプルボギーを重ねていったおかげで見事にシングルぺリアは頂きました。ドラコンも頂きましたし、107のスコアも私には満足いくものでした。

 

M君はこの会のメンバーの中で1、2を争う実力者です。一緒に回ってあらためて彼の技術の高さを確認しました。ティーショットからパットまですべてにおいて私より数段上の技術を持っています。珍しく2~3度大きなミスショットもあったことでグロス90でしたが、この難コースでグロス2位は98ですから、ダントツのベスグロでした。素晴らしい!

 

T君は絶不調、2回のOBに加えパットのタッチもあわず、(なんと一度はパットが転がり続けてグリーンから出てしまいました。ほんとに早いグリーンでしたね。)100越えです。彼が100回以上打ったのは初めて見ました。でもドラコン一つとったし、楽しく回れたのではないでしょうか。

 

そしてI君、相変わらずにぎやかです。営業の仕事関係で年間のラウンド数はおそらく一番多い(ほぼ毎週らしいです)そうですが、多忙でラウンドする以外は全く練習出来ないそうです。ずっとドライバーイップスで苦しんでいましたが、今回も5鉄でティーショット。でもその5番アイアンが当たっていました。

 

実はここ数回のコンペでは調子悪く、ブービーメーカーの有力候補でした。後半の数ホール崩れかけましたが5番アイアンの切れを取り戻し、なんとか踏ん張りました。初参加のIA君とのにぎりにも勝ち、12位は最近の彼にはいい結果でしょう。スコアにはご不満でしょうが、ご機嫌はよろしいかったですね。常任幹事で活躍、みなお世話になっておりますから彼が調子がいいのは私たちにも嬉しいことでした。

 

優勝はここがホームコースのG君、私も毎月お世話になっております。実は先週も船カンでまわっておりまして、グリーンの速さに慣れていたことも幸いし他の科とは思いますが、本来実力者の片鱗を見せました。

 

前回優勝で今回幹事長を務めたIM君は残念ながら(私も同じ経験がありますが、優勝するとハンデが跳ね上がりますから、私のように波のあるゴルファーは次回が厳しいのですね)Bメーカーでした。また次回に期待です。

 

次回は7月、やはり高校同期の集まりは楽しく、今から楽しみです。グリーン会のみなさん、今回は年度末という事もあり多忙で参加出来なかった方々もいましたが、また宜しくお願い致します。

 

 

 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと

3/22/2014船橋カントリー倶楽部

先月は大雪で予定の日がクローズで出来なかった月例の船カンに2か月ぶりに行ってまいりました。

 

いつものG君、H君との3人組です。雲一つない好天に恵まれ、まだ風邪は冷たいですが、冬の寒さはなく、いいスコアを期待しましたが・・・。

 

ベストスコアはG君の111、あとは書く必要もないですね、あいかわらずの低レベルの争いでした。

 

スタート前にアプローチ練習をしました。最近やっとシャンクは出なくなり、練習場では少しずつ自信がついてきたと思っていましたが、コースに出るとやはり打てない・・・。今日もテキサスウェッジを駆使せざるを得ませんでした。

 

もうテークバックでクラブを引こうとするとイヤーな感じがして、うまく動かせなくなります。そして相変わらずトップ、ダフリが出ます。それでまた怖くなってしまう悪循環です。

 

ひどいイップスの人は全くクラブを動かせなくなるそうです。そこまでは行っていなくて幸いと思わなければいけないかもしれません。

 

でも今日はショットも悪かったです。これではいいスコア出るはずないなぁ。どんどん下手になるみたい。それに慣れて楽しくラウンドを終えられるようになってしまったのは良い事なのかどうなんだか・・・。

 

来週はたまたま同じ船カンで七高グリーン会のコンペです。2週連続ですから少しはスコアアップを狙って頑張りたいところですが、ただの花見になってしまうかも・・・。ま、いいか。

 

 

 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと

Big-O オスカー・ロバートソン

先日バスケのことを書いたらいろいろ思い出してしまいました。

 

私がアメリカに初めて行った時、まず大学の寮に入りました。1973年当時はもちろん携帯電話などありません。各部屋に電話もないし、個人的にテレビを持っている学生もいません。

 

寮のロビーにテレビが置いてあり、みんなでワイワイ言いながら見ました。次の年の春、NBAのプレーオフシーズンですが、ある晩テレビの前にみんな集まって大騒ぎしながら見ていました。

 

なにかと思ったら、ボストン・セルティックス対ミルウォーキー・バックスの決勝戦だったらしいです。私は日本にいるときからバスケットボールは好きで遊びでは、やっていましたが、その程度だったのでNBAの知識は殆どありませんでした。

 

学生寮のロビーのテレビの前で学生たちが盛り上がっている姿を見て、NBAの人気に驚いたこと、そして、そのすごいプレーに仰天して私もみんなにまじって観戦しました。

 

バックスのセンターはあのカリーム・アブドゥル・ジャバー、ボストンのセンターはデイブ・コゥエンスでした。コゥエンスはたしか6フィート・8インチ、2メートル2~3センチです。今はこんなに小さいセンタープレーヤーはNBAにはいませんね。

 

ボストンのパワーフォワードはジョン・ハヴェリチェック、彼は6フィート5インチ、今ではガードでも小さいほうかもしれません。

 

そのあとバスケ大好き人間になった私はいろいろな事を知り、NBAの知識が増えて行きました。そしてずいぶんあとに発見したことは、なんとあのゲームはBig-Oことオスカーロバートソンのラストゲームだった可能性が高いんです!

tumblr_m8vnxwHbLB1qd6wt5o1_500ジャバーはまだゴーグルをしていませんね、後ろにいるのがBig-Oです。

NBAのことをよく知るようになって、オスカー・ロバートソンと云う伝説的な選手がいたことを知り、ライブで彼のプレーを見たかったなぁ、とずっと思っていたのですが、実は彼の引退前の最後の試合があのボストンとのプレーオフだったのですね。リアルタイムで彼のプレーを見ていたことに気づいていなかったんです。

 

カリームはあのフックショットが印象的でよく覚えていますが、アシストとかガードのプレーに関しては知識ゼロでしたから、残念ながらBig-Oの印象は残っていません。

 

Big-Oは6フィート・5インチ、当時のガードとしてはかなり大型の選手でした、あのころはNBAでも180センチ以下の選手も結構いましたから、のちのマジック・ジョンソンみたいな感じだったんでしょうね。(マジックは確か6フィート9インチくらいでしたか、ガードですが、当時のボストンのセンターより大きかった訳です)

 

トリプル・ダブルを達成した回数はマジックよりはるかに多く(おそらくこの記録はだれも破れないでしょう)なんとダブル・トリプル・ダブルを達成したこともあります。ポイント、リバウンド、アシストすべて20以上・・・・。他には誰もやったことはありません。

 

ウイルト・チェンバレンの一試合に100得点という大記録と共に、もう誰も破れないだろう記録をいくつも作った、まさにレジェンドです。もう一年早くアメリカに行っていればそういう事も知った上で彼のラストゲームを見て感動していたかもしれません。

 

1973~1974シーズンのNBAプレーオフ、私は19歳、初めてNBAの迫力にふれた年でした。

 カテゴリ:アメリカの思い出, スポーツの話

今どきの若者は・・・

大きくなりましたねぇ・・・。先日映画を観に錦糸町まで行く途中で2メートル以上はあるだろう、と言う若者が前を歩いていました。

 

電車に乗るとまたひとり、もっと大きいかもしれない男性が同じ箱に乗っていました。ほんとに今の若い人たちは大きくなりました。

 

私の年代では私は大きい方でしたが、今はもっと背の高い人がごろごろいます。今でも覚えていますが、私が小学生のときは日本人の平均身長は(男性)164センチでした。今の20代の人たちの平均は172センチくらいらしいですね。

 

私が学生の頃(確か歯科大にいた頃だと思います)バスケットボールの男子日本代表チームがアメリカ遠征にやって来ました。

 

たまたま私のいたところのすぐ近くの短大チームと試合をするということを聞き、見に行きました。日本代表には2メートル以上の選手が二人、北原で選手と岡山選手です。わたしと同年代で、日本を代表するエースでした。

 

このころまでは日本代表はアジアで中国とさほど差のない強いチームでした。バスケットファンの方はよくご存じでしょうが、岡山さんは本当に大きかった(2メートル30くらい?)です。

 

アメリカにもあれほど身長のある人はいませんから、相手の選手も観客もびっくりしていました。試合の方はというと、いい試合をしましたが、接戦で敗れたように記憶しています。

 

最後のほうで岡山選手が相手の選手とケンカになりかけた事には驚きました。彼と北原選手はアメリカ留学経験があったので英語がわかったんでしょうね、ラフプレーに加えてかなり悪い言葉をかけられたんじゃないかなぁ?温厚そうな岡山さんがかなり激高してました。

 

短大の体育館での試合でした。NCCA,Division1の大学の大きな体育館とは違います。普通の高校の体育館のような場所です.

 

アメリカの強豪大学とは力の差がありすぎて試合にならず、強化の役に立たなかったのでしょうね。こうして地方の短大チームと試合をこなして頑張っていた日本代表でしたが、このころからアジアでも勝てなくなってきました。

 

もう30年以上オリンピックに出ていないのかな?モスクワは日本チームがボイコットしたんだったかな?あのころは2メートル以上ある選手は数えるほどしかいませんでしたし、戦術も遅れていたのでしょうか。

 

今では高校生の試合に2メートル以上の選手がいっぱい出てきます。簡単にダンクをします。昔の北原選手も岡山選手もやっとダンク出来る程度だったのに・・・。岡山選手は体重もあって、多分ジャンプ力30センチくらいだったですね。

 

この高校生たちが順調に成長してくれて、またアジアの代表としてオリンピックに行ってほしいと祈っています。

 

 

 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと

村田選手・3連続KO

やってくれましたね。村田選手、アマチュア世界一の力が進化しています。ボブ・アラムさんが期待をこめて、大事に彼を育てるべくいいマッチメイクをしてくれている事もありますが、彼の実力あってこそだな。

 

始めの2ラウンドは頭を振って新しい村田を見せていましたが、やや(私の目には)ぎこちなかったですが、3ラウンドの途中からはそれをやめて前に出ました。

 

アップライトではなく前傾姿勢をとるところは良かったと思います。前の試合に比べてエルボーガードでボディーへのパンチをうまくガードしていたのは大きな成長かと見えました。

 

いいアッパーでチャンスを迎えてもはやらずにガードを固めて、慎重に決めに行きました。素晴らしい落ち着きですね。(さすがにアマの世界チャンピオンです)

 

日本のボクシングの歴史を変える重量級の期待の星です。順調に成長して、近い将来に世界を驚かせるボクサーになってくれることを本当に祈っています。

 

いつの間に、日本ボクシング史上最高の黄金時代になっているのかも知れません。村田、内山、井岡、八重樫、井上、河野、山中、・・・長谷川穂積君は・・うーん、頑張ってほしいけど・・・。

 

これから楽しみな試合がいっぱいです。

 カテゴリ:スポーツの話

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