新原歯科医院

院長ブログ

カテゴリ: スポーツの話

Swing it boys

フィギアスケートの団体戦という種目でアイスダンスを見ました。いやぁきれいですね。かっこいいですねぇ。ペアとはまた違う良さがありますね。

 

カナダ(だったと思いますが)のアイスダンスチームが私の大好きな「Dream a little dream of me」と「Cheek to cheek」をBGMに使っていました。

 

そう、ジャズは元々ダンス音楽だったんですよね。アイスダンスにぴったりでした。それも、あの声はルイ・アームストロング(サッチモ)です。

 

となると、デュエットのあの声はエラ・フィッツジェラルドでしょうか?持っているCDを探してみました。たしかデュエットのアルバムひとつ持ってたはず。

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ありました。「Cheek to cheek」は入ってました。この歌を歌う歌手は多いです。ときどきライブでも聴きます。「Dream a little・・・・」はそれぞれのソロのアルバムに入っていましたから、合成したのかも。

 

他にもいくつかこの二人のデュエットアルバムはあるそうなので、どこかで一緒にやっているかもしれませんね。この歌を歌う人は少なくて、めったにライブでは聴けません。

 

「Cheek to cheek]は多分フレッド・アステアのミュージカルで使われていたと思います。トム・ハンクスの「グリーン・マイル」でも感動的な使い方をしてました。

 

このエラ&ルイのアルバムでは歌のあとにルイのトランペット・ソロに入ります。その時にサッチモがバックのバンドに「Swing it boys!」と声をかけてソロに行きます。(坊やたち、スィングしようぜ!)みたいな感じでしょうか?

 

たまに同年代の人にも「Boys」と言うこともありますが、普通は年下、格下の人に言うのだろうと思います。

 

サッチモに「Boys」と呼ばれたバンドのメンバーはというと、ピアノがオスカー・ピーターソン、ベースにレイ・ブラウン、ギターがハーブ・エリス、ドラムはバディー・リッチです。

 

もう全員が伝説、レジェンドと言っていいですよね。ピーターソンは当時32歳だったそうです。50代の大御所ルイ、エラは40代、この二人からすればこのオスカー・ピーターソン・トリオ+1はまだまだ「Boys」だったんですね。

 

アイスダンスを見ながらそんなことを思い出しました。エラもルイも最高です。

 カテゴリ:スポーツの話, 音楽の話

美しき敗者と絶対王者

冬季オリンピック開会前に昔の名場面などが多々放映されていました。子供のころに比べると段々興味が薄れて来ていますが、懐かしい映像を見るとスポーツおたくの私にはいろいろな思いでが蘇って来ます。

 

札幌の日の丸飛行隊、長野のスケート清水選手の映像が流れました。

 

札幌のジャンプ代表で一人だけメダルを取れなかった藤沢隆選手がすぐに思い出されます。

 

彼はそれまでの日本ジャンプ陣を引っ張って着た功労者でした。前年度には欧州のジャンプ週間で何勝もしていて、日本を代表する名選手だったのです。

 

残念ながら本番の地元のオリンピックの年には不調に陥りました。70メートル級(当時はノーマルヒルをそう呼んでいました)の1本目はいいジャンプをしましたが、2本目で下位に沈みました。

 

4人の日本代表が並んでいるシーンがよく出て来ます。一番右で少しうつむき加減で手を振っているのがただ一人メダルから遠ざかった藤沢選手です。どんな思いだったのか・・・、我々には想像もつかない思いでしょうね。

 

長野オリンピックの映像では、スピードスケートの清水選手が大柄なヨーロッパの選手を左右に従えて金メダルを嬉しそうに掲げていました。

 

私には堀井学選手のことがすぐ思い出されます。やはりずっと日本、いや世界のトップを走ってきた選手です、その前(だったかな?)の大会では銅メダルをとりました。地元長野では金メダルの有力候補でした。今は議員さんですね。

 

この大会の前にスケート靴に革新が起きていました。スラップスケート、今はみなこのタイプの、ブレードが後ろの部分が靴に固定されていないスケート靴を履いているらしいです。

 

すぐに新しい靴を試して使い始めた選手と、少し試すのが遅れた選手とに別れました。まさかそんなに大きな違いが出ると思わなかった選手も多かったのでしょう。

 

清水選手は前者、堀井選手は後者でした。スラップスケートに適応する時間が足りなかったのでしょう。全く滑りに精彩を欠いて下位に終わった堀井選手が目に涙を光らせながら気丈にインタビューに答えていた場面が忘れられません。

 

藤沢選手も堀井選手も美しき敗者でした。

 

私がアメリカにいた時にレークプラシッドで冬季五輪が開かれました。地元の大会でしたからアメリカでは連日オリンピック特集が組まれて大騒ぎでした。

 

この大会のスピードスケートで男子の5種目全てに金メダルと言う(おそらくもう2度とこういう快挙は達成されないと言われています)物凄いパフォーマンスを見せた21歳のエリック・ハイデン選手のことは忘れられません。

 

オリンピック前からとても話題になっていていろんな番組で紹介されていました。妹さんのベス・ハイデン選手も金メダル候補でしたが、プレッシャーの中アメリカが期待した結果は出せませんでした。

 

試合後のインタビューでベス選手が「本当にあなた達は・・・!」とマスコミに怒りをぶつけていたのも忘れられません。どこの国でも一緒ですね。選手たちに必要以上にプレッシャーをかける人たちがいます。

 

それに比べてエリック選手は本当に「飄々として」と言う言葉がぴったりの選手でした。ものすごいプレッシャーがあったはずですが、彼はそれを感じさせることなく戦い抜き、ヨーロッパの、いや世界中の選手、観衆を驚かせたのです。

 

オリンピック後のあるトークショーで(ジョニー・カーソン・ショーだったかなぁ?)「自転車やりたいんだ」と言っていたのが新鮮でした。

 

そのあとメディアに出なくなり、どうしていたのか?と思っていましたが。あっさりスケートから引退して医学部に入り整形外科医となって活躍しているそうです。スケートでお金をかせごうとは思っていなかったそうです。この頃が、本当のアマチュア選手が活躍した最後の時代かも知れませんね。

 

自転車競技も始め、北米の大会では優勝し、なんとツール・ド・フランスにも出場したというのですから、ほんとうにすごい・・・、と言うのか何というのか表現のしようがありません。ただあのレークプラシッドでは、まさに絶対王者でした。

 

モーグルの上村選手は残念でしたが、きっと彼女も「美しき敗者」として記憶に残る選手になるのでしょう。そして、それはもはや敗者ではないのかも知れませんね。

 

 

 

 

 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと

ダンクシュート

今朝起きてテレビをつけるとBSでNBAゲームの前の特集をやっていました。まずはダンク特集。すごいですよね。あの人たちの身体能力の高さ、信じられません。

 

私は一度だけダンクを決めたことがあります。私の身長は181センチ(今は縮んでいるかも知れません)ですが、腕は長いほうです。

 

ジャンプ力はたいしたことなかったです。バスケットのリングに指がとどくかどうか、というところでした。

 

アメリカのストリートのバスケットボールのリングは2~30センチ低いのでそこなら(片手なら)手首が出るくらい飛べました。

 

本当にダンクするにはおそらく肘がリングに届くほど飛べないと難しいと思います。ある日何度もチャレンジして、両手の指でボールを支え、ジャンプして最上点でそっとボールをリングの中に落とし込みました。

 

ソフトダンク?(スラムダンクとは到底言えませんが)やっと決めたときは嬉しかったなぁ。片手ではボールを掴めませんから両手で持つのですが、両手を伸ばしてジャンプするとやっと指先がリングの上に出るくらいです。

 

バスケットボールは大きいからどうしてもリングに弾かれてしまうのです。本当にギリギリ精一杯手を伸ばしボールをリングの上に持って行きました。

 

私の世代ではスラムダンク出来る人はそう多くなかったですが、先日高校のウインターカップを見ていたら、試合前の練習でダンクを決める選手がたくさんいて驚きました。

 

大きくなりましたねぇ。ただアメリカでは(私がいた頃、1970年代ですが)試合前の練習ではダンクをしないのがマナーでした。

 

リングを支える強化アクリルのボードが割れて壊れちゃうことがあります。むこうではプロのみならず高校生でも平気ですごいダンクしますから。ダレル・ドーキンスがボードを粉々に壊すシーンは有名です。

 

アメリカに行った時は試合前の練習ではダンクしないほうがいいと思います。練習でダンクできるのはそのレベルでは当たり前のことなので試合の中でやって下さい。

 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと

ニッカボッカーズ

3~4年前に事情がありまして半年で8キロ太ってしまいました。秋が過ぎ、ある金曜日に次の日のゴルフの為に冬用のウエアーをバッグに入れる前に履いてみたらズボンのウエストが締りません。

 

あわてて木場のヨーカドーへ行きまして、運よく97センチのウエストサイズにゴム付きのズボンを発見、値段も3千円以下のお手頃な品でして、購入しました。

 

太った8キロの殆どは腹回りの皮下脂肪と内臓脂肪だったようで、通勤用も含めてズボンが全く合わなくなりました(それまでは88か91くらいのサイズだったのですが)。

 

本当にまいりました。急に太るとなんと非経済的なのでしょう。でも気持ちを切り替えて、どうせ太いズボンを買わなければいけないのならと、以前からニッカボッカーズをはいてみたかったので探してみました。昔ペイン・スチュアート(飛行機事故で亡くなりましたが)が着ていて彼のトレードマークでした。自分も着てみたいと思っていました。

ペイン(かっこいい!)

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なかなか見つからず、あってもデザインがいまいちで(日本では細身のニッカが多かったです)ネットでアメリカの店をいくつか見つけて通販で購入しました。

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これがなかなか具合よく、三つの店から少しずつ買っていくうちに7着になりました。ウエストにゴムが入っているのもあり、足回りもゆったりしていて動きやすいです。

 

ハーヴィー・ペニックさんによると大恐慌のときに人々はウールのハイソックスを買う余裕もなくなり、それでニッカボッカーズはすたれて行ったんだそうです。それ以前はゴルファーのふつうの出で立ちでした。

 

野球のユニフォームも昔はこれでした。動きやすくスポーツに適した装いですよね。

ベイブ・ルース

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3年ほど(夏の暑い日はさすがにハイソックス履きたくなくて、普通に短パンですが)ゴルフはニッカで行っているので船橋カントリー倶楽部のキャディーさんたちにはニッカボッカの変なおじさんと思われているようです。

 

でも最近雑誌などでは時々見かけるようになりました。これからまた流行って来るかも?

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 カテゴリ:スポーツの話

S・フェザー級W世界タイトルマッチレポート

大晦日の内山選手、三浦選手のそれぞれの世界戦すごい試合になりました。WBCの三浦隆司対ダンテ・ハルドン戦は二人とも殆どジャブを突かずのフルスィングの応酬です。

 

序盤からいいパンチをボディーに決めていた三浦選手が8ラウンドに左アッパーでハルドン選手の鼻を砕きました。

 

その時点でハルドンの心は折れていました。ここで試合止めてもよかったと思います。9ラウンドに入り三浦のパンチがハルドンを捕えるとハルドンは膝をつきました。完全に戦意喪失したところでレフェリーがストップしました。

 

三浦選手は3年前(くらいだったかな?)の内山戦で、一度ダウンを奪ったものの、右こぶしを痛めた内山選手に左一本で両目を塞がれました。内山選手はジャブ、ストレート、フック、それぞれに何種類もの打ち分け方が出来る稀有のテクニシャンであり強打者なのです。

 

8ラウンドくらいだったでしょうか?ゴングが鳴っても席を立たず負けを認めTKO負けしました。まさに左を制する者は世界を制す、でした。

 

それからよくここまで自分を高めてきたものです。WBCのタイトルをとった試合、初防衛戦、みな素晴らしいボクシングを見せてくれました。拍手です!

 

そして内山高司対金子大樹戦。これまたすごい試合になりました。金子選手はまだ25歳、6連続KOで日本に敵なしの選手だそうです。

 

内山選手がこれほど下がらされたり、クリンチで逃げるシーンはあまり見たことがありません。金子選手、いいパンチを貰いながらも決して引かず最後までプレッシャーをかけ続けました。

 

10ラウンドの内山選手ダウンシーンには、これは番狂わせが起こるか?と思われた方も多いのではないでしょうか。私もドキドキしました。

 

かなりのダメージがあった筈ですが内山選手、苦笑いで済ますところがまたすごいです。のこりの2ラウンド、内山選手足を使って金子選手のパンチをかわしながらすごいパンチを入れて行きますが、金子選手もタフです。

 

とうとう判定になりました。終始押してはいましたが、金子選手の端正な顔が12ラウンドのあとでは別人のように変えられていました。殆ど腫れのない内山選手の顔と比べるだけでどちらが勝者かははっきりわかりました。

 

内山選手の右手がまた痛んでいないか心配です。試合後にすぐアイシングしていましたね。金子選手、まだ25歳、数年後が楽しみになってきました。内山選手も彼を「The 男ですね」と言って讃えました。

 

かなりのダメージがあった筈ですが、それを物ともしない内山選手も「The 男」です。いい試合でした。金子選手、敗れはしましたが丁寧に内山選手に礼をして感謝して試合を終えました。最近は試合後にろくに礼をしない選手がいますが、すがすがしい感動を覚えます。

 

次の日の新聞でスコアカードを見て驚いたのですが、内山戦の3人の審判は全員全ラウンド同じ採点をつけていました。三浦戦では9ラウンドまでですが、1ラウンドだけ1人が違う採点でした。

 

これも珍しいことで、いいボクシングをした証しです。へなちょこパンチ同士のマッチではどっちにつけるか難しいラウンドが多くなります。プロは当てただけではポイントをつけないジャッジも多いからです。

 

これだけの強打者同士がお互いに明らかにポイントになるパンチを打ち続け、お互いに耐え続けたからこその採点です。そして、とてもクリーンな試合でもありましたね。若干のローブロー注意はありましたが、他の世界戦では明らかなローブローが黙認されることもありました。

 

いつか統一戦になるのでしょうが、内山、三浦両選手とも世界の舞台で活躍してもらいたいものですね。

 カテゴリ:スポーツの話

2013ウインターカップ

一昨日(29日)に冬の高校バスケット全国大会、ウインターカップの決勝がありました。当日は見れず、録画を昨日見ました。

 

まず驚いたのは、試合前にオフィシャルが紹介されたのですが、テーブル・オフィシャルはなんと私の母校である七高(都立墨田川高校)の生徒たちでした。ちょっとびっくりでした。

 

日本のバスケットボールの試合見るのは何十年ぶりでしょうか。みんな上手だし、大きくなりましたねぇ。私たちのころとは大違い。(ちなみに私は遊びでやった程度のスポーツおたくです)

 

昔はサッカーでもドリブルしたら怒られちゃったもんですが、今の高校バスケの選手たちは、平気でビハインド・ザ・バックや股を通すドリブルをします。スピードもあって、ミニNBAみたい。

 

この大会にも身長2メートルを越える選手が何人もいたようです。私の世代では北原選手や岡山選手くらいだったのかな。

 

明成高校が終始福岡大付属大濠高校をリードし、日本一になりました。優勝校インタビューで、涙なみだのキャプテン植村君、えくぼが可愛い素晴らしい笑顔の一年生エース八村君が対照的でした。

 

今大会アシスト王の植村君は小岩4中出身だそうですが、うちの近所の小岩なのかなぁ。八村君は中学からバスケを始めたばかりだそうです。順調に伸びてほしいですね。

 

ただ世界的には1メートル97ではガードの大きさですから、うーん・・・、昔はNBAでもそれくらいのセンターいたんですけど、日本人も大きくなったけど、世界も同様に、ですからね。でも頑張って、長いことオリンピックに出ていないこの種目でアジアの代表権をとってくれることを期待しましょう。

 

さて今日は大晦日。少し片付けものをして、夜はボクシングの世界タイトルマッチが三つ、みんないい試合です。強打の井岡、三浦選手、そして何といっても日本人最強王者の内山選手の試合が楽しみですね。

 

それぞれ強い相手と戦います。きっと新年一番目のブログは内山選手の試合レポートになっちゃうかな?

 

皆さんそれぞれの一年と大晦日をお過ごしかと思いますが、どうか、良いお年をお迎え下さい。来年も宜しくお願いいたします。

 カテゴリ:スポーツの話

12/22/2013・七校グリーン会、還暦記念コンペ

佐倉カントリークラブに60歳前後の16人が集合しました。18回目のゴルフコンペは還暦祝いコンペとなりました。

 

世話役のE君から還暦到達者はどこかに赤着用のこと、と言うお達しがあり、恥ずかしげに赤の入ったウエァを着てロッカールームから出てきます。私は2月生まれなのでまだ到達しておりませんが、赤のネックウォーマーでお付き合いしました。

 

好天に恵まれたくさんの笑い声に包まれながらラウンドが進行して行きました。わたしの組についてくれたキャディーのCさんは、カートを運転しながら笑いころげていました。しかしY君よくしゃべります。

 

普段、80を切るようなスコアを出せる実力者も数人いるのですが、速くてトリッキーなグリーンに皆悩まされスコアがのびません。

 

その中でI君久々の優勝おめでとう!私は前回ブービーメーカー(最下位)だったため、今回はハンデが大幅に増えたため、グロス102ながら終わってみればネット75で第2位でした。

 

それにしても3回前の優勝者N君、2回前の私と続けて1位から最下位へと急降下していた悪い流れを前回1位のS君が見事に(パットに苦しみながら)断ち切ってくれたのはさすがです。感謝ですね。

 

また、もし今回わたしが優勝してしまうと、1位から最下位、そしてハンデが増えて最下位からまた1位では、結構ひんしゅくを買っていただろうところをI君に救われました。いやいや危なかった・・・。だれも気づいていなかったとは思いますが。

 

この回には二年前から参加させて頂いておりますが、下町育ちの同期生との会は、いつも笑いに包まれて仕事を忘れて楽しませて貰っています。どこかでみんなの邪魔をしていなければいいな・・・・と、ときおり心配していますが感謝です。

 

コンペのあとは佐倉では恒例のイタリアンレストラン、ボルボーで打ち上げでした。店のご厚意で、まさに当日誕生日、還暦のO君にケーキとシャンパンの差し入れ頂き、これも感謝です。たまたまこの店の素敵なママさん、なんと我らの母校七高(都立墨田川高校)のすぐ近くの出身だそうで、縁は異なものですね。

 

第19ホールのホールアウトはこれも恒例のYa君のハーモニカ伴奏での七高校歌(幸田露伴作詞です)を合唱しました。今回はその前に「ホワイトクリスマス」も歌いました。

 

高校時代はさほど興味のなかった校歌ですが、40数年の時を経るとなぜか懐かしく、みな大きな声で歌ってカップイン、無事ホールアウトしました。

 

これで今年はゴルフは終わりです。来年はなんとかアプローチイップスを克服して、ゴルフも第19ホールも楽しみたいものです。

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 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと

2013・12・14、船橋カントリークラブ、X-Day来たる

土曜日、船カンでG君、Hさんと月例ゴルフ行って来ました。元々O君、G君、私、の高校同窓組でやっていたところに、G君が会社の同僚Hさんを強引に引き込みました。

 

Hさん殆ど初心者状態で、はじめはかなり苦労しましたが、ここのところ地力をつけ、Hさんに敗れる日が近々来るであろう、とその日をX-Dayと呼んでいました。

 

好天に恵まれ、Hさん堅実なゴルフを進めます。やってしまいました!私が第一号、Hさん後半やや崩れたにもかかわらず、2打差でX-Dayを呼び込みました。

 

G君もシャンクに悩まされ、危なかったのですが、なんとか同スコアで先輩の面目を保ちました。私は少しずつアプローチイップスを克服し始めたと感じていたのですが・・・、うーん・・いまだ道遠しでありました。

 

プレー後に千葉そごうの中にある小龍包がうまい中華屋さんで反省会。今日参加出来なかったO君も合流しました。

 

ついにやられたよ、とスコアカードをO君に見せると一言「しかし低レベルの戦いでないの?」すみません、私は115、Hさん、G君は113、確かに低レベルでしたね。

 

来週は墨田川高校同期会コンペ、七高グリーン会ですが、やはりハンデ通りのスコアになりそうだなぁ・・・。

 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと

2013/12/8・ゴルフ日本シリーズ、宮里優作、大器覚醒

涙の初優勝でした。最後までハラハラさせましたが、呉選手が崩れてくれたこともありましたが、勝つべくして勝ったと言っていいのではないだしょうか。

 

アマであらゆるタイトルを総なめして期待されてプロに入って、なかなか勝てませんでした。ラウンド解説の丸山プロも言っていましたが、ゴルフ界の七不思議とまでいわれていた大器がついに覚醒しました。

 

この選手が活躍してくれることによって、日本のプロゴルフツアーが盛り上がっていくことを期待したいですね。宮里一家はみんな泣いていましたね。

 

私は再来週に佐倉カントリークラブで高校同期の「七高グリーン会」のゴルフコンペです。私はショットはそんなに悪くなく、ほぼ毎回ドラコンかニアピン賞を頂いているのですが、それにもかかわらずスコアが110くらい平気で叩くので、M君には「新原の七不思議」と言われています。

 

前回M君と同組だったので、彼も僕のアプローチを見て理由がわかったようです。でも最近少しアプローチイップスも克服し始めてきています。久々に100は切りたいなぁ。

 

それにしても日本のゴルフ取材のカメラマンさんたち、先週も池田勇太選手に怒られていたところをテレビの音声にとらえられてしまっていましたが、昨日もちょっと押しすぎ、危ないですよね。

 

アメリカでも石川遼君をおいかけて行っている日本の記者さんたち、あまり評判芳しくないように聞いていますが、(本当のところは知りませんが)どうなんでしょうね?

 カテゴリ:スポーツの話

2013.12/6 村田、八重樫、井上兄弟・本物のボクシング

本物のボクシングを見せてもらいましたね。八重樫選手、足でソーサを翻弄しました。ソーサも相手の強さを認める圧勝でした。(ライトフライ級を10回防衛した強豪ソーサです) これであとは他の団体との統一戦に行くのでしょうか。この階級には、ミニマム、ライトフライで無敗の絶対王者だったロマゴン、こと、ローマン・ゴンザレスが階級を上げて参戦してきます。面白くなりますね。

 

井上兄弟、すごいですねぇ。あの若さでこの強さです。順調に成長してほしいですね。井岡選手とやったら面白いんだけど、受けてくれるかなぁ。その前に階級上げられてしまうかもしれません。ただ、あのあファイティング原田選手は19歳で世界チャンピォンになりました。レイ・(ブンブン)マンシーニは20歳で世界王者になりました。20歳の井上選手、それにどこまで近づけるか?期待します。

 

そして期待のミドル級村田諒太選手、少し内容には不満だったでしょうが、プロ転向2戦目、まずまずでしょう。課題点もいくつか見えたと思います。これから相手が強くなっていくと、ミドル級のトップランカーのパンチは重いですから、あのようにボディーを打たせてはかなりダメージを受けるでしょう。

 

1戦1戦、成長してタイトルを狙えるところまでなんとか行ってほしい、いや、行けると思います。やはりオリンピック金メダリストの強さは垣間見せてくれました。毎回本物のボクシングを見せてくれることでしょう。東京オリンピックで金メダルをとった桜井選手は残念ながらタイトルマッチで負けてしまいました。

 

当時はプロアマとのへだたりが大きくて、アマチュアボクシングから「裏切り者」のように扱われ、苦労したそうです。村田選手もプロに転向する際いろいろありましたが、なんとか切り抜けてきました。彼には本当に自分の力を出し切ってほしいですね。

 

モハメッド・アリもジョー・フレージャーも、シュガー・レイ・レナードも、他にも多々オリンピックのメダリストとしてプロで活躍したボクサーが多くいます。そのフットステップを村田選手にも歩んでほしいなぁ。

 

八重樫選手が3人の子供たちと一緒にインタビューを受けている映像はほほえましかったですね。彼が結婚した時のエピソードも感動するものがあります。少しでも長く、あの一番下のお嬢さんにも記憶が残るまで頑張れ!

 

私が「本物のボクシング」と言う言葉を使った理由はボクシングファンの方だけでなくともわかっていただけると思っています。本物は私のような素人でさえも感動させてくれますね。

 カテゴリ:スポーツの話

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