亀戸駅までの遊歩道の桜並木、ここ数日の暖かさで今にも開きそうな蕾があちらこちらに・・・。
今年も春を迎えられます。感謝です。
2014年3月17日 カテゴリ:日々のこと

大きくなりましたねぇ・・・。先日映画を観に錦糸町まで行く途中で2メートル以上はあるだろう、と言う若者が前を歩いていました。
電車に乗るとまたひとり、もっと大きいかもしれない男性が同じ箱に乗っていました。ほんとに今の若い人たちは大きくなりました。
私の年代では私は大きい方でしたが、今はもっと背の高い人がごろごろいます。今でも覚えていますが、私が小学生のときは日本人の平均身長は(男性)164センチでした。今の20代の人たちの平均は172センチくらいらしいですね。
私が学生の頃(確か歯科大にいた頃だと思います)バスケットボールの男子日本代表チームがアメリカ遠征にやって来ました。
たまたま私のいたところのすぐ近くの短大チームと試合をするということを聞き、見に行きました。日本代表には2メートル以上の選手が二人、北原で選手と岡山選手です。わたしと同年代で、日本を代表するエースでした。
このころまでは日本代表はアジアで中国とさほど差のない強いチームでした。バスケットファンの方はよくご存じでしょうが、岡山さんは本当に大きかった(2メートル30くらい?)です。
アメリカにもあれほど身長のある人はいませんから、相手の選手も観客もびっくりしていました。試合の方はというと、いい試合をしましたが、接戦で敗れたように記憶しています。
最後のほうで岡山選手が相手の選手とケンカになりかけた事には驚きました。彼と北原選手はアメリカ留学経験があったので英語がわかったんでしょうね、ラフプレーに加えてかなり悪い言葉をかけられたんじゃないかなぁ?温厚そうな岡山さんがかなり激高してました。
短大の体育館での試合でした。NCCA,Division1の大学の大きな体育館とは違います。普通の高校の体育館のような場所です.
アメリカの強豪大学とは力の差がありすぎて試合にならず、強化の役に立たなかったのでしょうね。こうして地方の短大チームと試合をこなして頑張っていた日本代表でしたが、このころからアジアでも勝てなくなってきました。
もう30年以上オリンピックに出ていないのかな?モスクワは日本チームがボイコットしたんだったかな?あのころは2メートル以上ある選手は数えるほどしかいませんでしたし、戦術も遅れていたのでしょうか。
今では高校生の試合に2メートル以上の選手がいっぱい出てきます。簡単にダンクをします。昔の北原選手も岡山選手もやっとダンク出来る程度だったのに・・・。岡山選手は体重もあって、多分ジャンプ力30センチくらいだったですね。
この高校生たちが順調に成長してくれて、またアジアの代表としてオリンピックに行ってほしいと祈っています。
2014年3月11日 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと
野球ファンの方はよくご存じだと思いますが、ジョーブ先生がなくなりました。トミー・ジョン手術で多くの野球選手の復活に大きな役割を果たした方ですね。ご冥福をお祈りします。
彼はわたしの出身校であるLoma Linda 大学の医学部の卒業生です。私の弟は同じ医学部出身なのでまさに大先輩です。弟に言わせると、L.L.Uの一番の有名人だね・・・、だそうです。
調べてみたら、彼は「Band of Brothers」と言うドラマシリーズ(何年前でしょうか?かなり話題になりました)で有名な101空挺師団で衛生兵だったらしいです。ノルマンディー上陸からバルジの戦いまで参戦、一時は捕虜にもなったとか・・。
軍の退役者に与えられる奨学金で大学に入り、(ラ・シエラ・カレッジからロマ・リンダ大に進んだのは私た兄弟と同じです)医学部を卒業しキャリアを築いていったそうです。先輩だと言うことは知っていましたが、そういう経歴については知りませんでした。
全く面識もないのですが、大学の先輩であることには違いないので、何か感じるものがありました。
見て来ました。友達に「良かったよ」と、だいぶ前に言われて行きたかったのですが、やっと行けました。
歳とともにたるむ体同様に涙腺も緩んできておりまして、こういう映画を観るときにはハンカチが欠かせなくなりました。
百田さんの発言が最近物議をかもしていますが、伝えたいことはよくわかるのですよね。論点によっては、まぁ少し語彙を変えてもいいかなと思うこともありますが。
この映画の最後のほうで、そのとき、一人ひとりにそれぞれの物語があったんだ・・・。と語るところがありました。これ戦争云々と拘わらずともいつの時にもそうなのだろうな。自分には図り切れないことがいつも多々あるのでしょう。
それにしてもCGの進化はすごいですねぇ。ちょっと前なら考えられない映像を実写のように見せてくれますね。
話はかわりますが、実は私はゼロ戦おたくなのです。実際はそれほど細かいところまで知識はありませんから「おたく」と言うのは本物のゼロ戦好きの方に失礼かな?ゼロ戦マニアくらいにしておきますか?
多くの戦争映画では私から見るとおかしいシーンがよく見られます(増槽を付けたままで戦闘したり)が、この映画ではよくそういうところも正確に作っていたのは日本の映画では珍しいです。いろんな意味でよくできた映画だと思いました。勿論感動も与えてくれました。
ひとつ細かいことを言わせて頂くと、ゼロ戦の時代にはもう巴戦で戦うことは殆どなかったということを多くの当時のパイロットたちが言っていますが、まぁこのほうが映像的には面白いですからいいかな?
友人が言っていた通りサザンのエンディング曲も良かったですね。歌が終わっても目が乾くまで座っていましたが、だれも席を立ちませんでしたね。最後までみてたら、なんて多くの人が映画作りに関わっているんだろう…(クレジットの名前の多さを見て)と思いました。
昨日アカデミー賞の授賞式を見ました。これを見ているといろんなことが思い出されて、話をし始めれば終わらない、と言う人はいっぱいいるんじゃないでしょうか?
監督賞のプレゼンターとしてシドニー・ポワチェが出ました。さすがに歳をとったなぁ。黒人として初めてアカデミー賞をとった俳優さんですね。
ノミネートされていたマックィーン監督がとれば、黒人初のアカデミー賞俳優から黒人初のアカデミー賞監督にオスカーを手渡していたところでしたが(劇的な演出ですね)、残念ながら監督賞はとれませんでした。(最後に作品賞をとったのだから残念とは言えませんか?)
日本アカデミー賞が出来たとき、黒沢明監督が「日本には映画アカデミーすら無いのに、なにがアカデミー賞だ!」と怒っていたことも思い出されます。おっしゃる通りですよね。
さてシドニー・ポワチェですが、「野のゆり」でアカデミー賞をとりましたが、私に強烈な印象が残っているのはやはり「夜の大捜査線」ですね。原題は「Heat in the Night」でした。
彼が南部の小さな駅で汽車から降りて来る時のいでたちはまさに私たちの年代で流行った「アイビールック」でした。ボタンダウンのワイシャツに三つボタンの真ん中だけボタンをはめたスーツ姿、かっこよかったですねぇ・・・。
許せないのは私の憧れだったジョアンナ・シムカスと結婚したことです。本当に素敵な女性でしたが、結婚後俳優から引退してしましました。
「冒険者たち」ではアラン・ドロン、リノ・ヴァンチェラと共演、いい映画でした。「オー」ではジャン・ポール・ベルモンドと共演するなどフランス映画に出ていたのでてっきりフランス人かと思っていたら、カナダ人だそうです。カナダにはフランス語圏がありますものね。
また古い映画を観てみたくなりました。ちなみに「夜の大捜査線」では共演のロッド・スタイガーがアカデミー主演男優賞だったんですよね。いい演技でした。数年前の「質屋(Pawnbroker)」でもノミネートされていたと思います。話が止まらなくなりそうです。
久しぶりに古野さんのライブ行って来ました。仕事の帰り、セカンド・ステージに間に合いました。メンバーは、石井彰(ピアノ)、長谷川ガク(ドラム)、纐纈(こうけつ)歩美(Aサックス)でした。
本当はドラムは大坂昌彦さんの予定だったのだけど、インフルエンザのために長谷川さんがトラ(代役)に入りました。人気ナンバーワンの大坂さんの代役ですが、いい感じで叩いてくれました。
石井さんは昔、日野皓正さんのバンドで活躍して有名です。いいグルーブのフレーズを弾いてくれました。
纐纈さんは(難しい読みですね)デビューしてすぐメジャーになったというか、人気サックス奏者ですね。私がよく行く小岩コチに毎月出ていますので何度も聞いていますが、いつもパワフルな演奏でたのしませてくれます。
古野さんはそのテクニック、美しくまたビートの効いたサウンドにあの素晴らしいフレージングは、私の中では日本の第一人者です。何人も大御所と言われるベーシストがいるのでしょうが、私好みの素晴らしいプレーヤーです。
彼のベースのバッキングはとても美しく、他の人のソロのバックなのについつい私の耳と目は古野さんを追っています。もちろんベースのソロは抜群です。
古野さんのソロではないのにバックでの演奏にときおり「いぇーー!うぉーー!」と叫んでしまったりします。もちろん他のメンバーの演奏も素晴らしかったですよ。4人とも楽しそうに、お互いに小さく「いぇー」と声かけて笑顔での演奏でした。
松坂屋の裏にあったスィングシティーを閉める前には、古野さん、ピアノの辛島さん、大坂さんのトリオを何度かやりましたが、素晴らしかったなぁ。
昨日も大坂さんと古野さんが一緒にやるのを楽しみにしていたのですが、大坂さん病欠で残念でした。
またいつか、3人のトリオを聴きたいものです。大坂さんはともかく、古野さん、辛島さんはそろそろお歳を召して来ていますからね。(失礼!)
2014年2月20日 カテゴリ:日々のこと, 音楽の話
ソチ冬季オリンピックも終わりに近づいてきましたね。今ノルディック複合LHが終わりました。渡部選手、転んでしまいました。残念でしたね。
それにしても、いつ見てもコース以外には雪が積もっていませんね。今日も雨です。東京の方が雪多いんじゃないの?
冬のオリンピックにしては珍しい暖かい気候ですね。観戦する人たちは楽かもしれませんね。こういうのもいいのかな?選手たちはベタ雪に苦労してるかも知れないけど。
プーチンさんの(気まぐれな?)「ここでオリンピックをやろう」という言葉から始まったプロジェクトらしいですね。
ジャンプ台他色々な競技場、施設を何もなかった所に新しく作らねばならなかったようです。その為に、多くの人々が強制収用により土地、家屋を奪われたと言う話を聞きました。そういうことはあまり報道されませんね。
日本でそんな事したら、成田の時のように大騒ぎになるでしょうね。特に共産党は猛烈に抗議することでしょう。ロシアの同胞には抗議しないのかなぁ・・?
2014年2月18日 カテゴリ:日々のこと
2週連続の週末の大雪になりました。亀戸駅までの遊歩道、桜並木ですが、雪の重さにたえかねたか、枝がいっぱい落ちていました。
結構太い枝も折れて落ちてます。夜中は風も強かったんでしょうか?自然の怖さを感じます。
いっぱい蕾がついた枝が多かったです。この雪に耐えられれば1か月後には綺麗な桜の花が咲いたのでしょうね。
残った枝もかなり垂れ下がっているものがあります。また元気を取り戻して、折れて落ちたつぼみたちの分も美しく咲いてほしいものです。
それも自然の素晴らしさでしょうか?
2014年2月15日 カテゴリ:日々のこと
冬季オリンピック開会前に昔の名場面などが多々放映されていました。子供のころに比べると段々興味が薄れて来ていますが、懐かしい映像を見るとスポーツおたくの私にはいろいろな思いでが蘇って来ます。
札幌の日の丸飛行隊、長野のスケート清水選手の映像が流れました。
札幌のジャンプ代表で一人だけメダルを取れなかった藤沢隆選手がすぐに思い出されます。
彼はそれまでの日本ジャンプ陣を引っ張って着た功労者でした。前年度には欧州のジャンプ週間で何勝もしていて、日本を代表する名選手だったのです。
残念ながら本番の地元のオリンピックの年には不調に陥りました。70メートル級(当時はノーマルヒルをそう呼んでいました)の1本目はいいジャンプをしましたが、2本目で下位に沈みました。
4人の日本代表が並んでいるシーンがよく出て来ます。一番右で少しうつむき加減で手を振っているのがただ一人メダルから遠ざかった藤沢選手です。どんな思いだったのか・・・、我々には想像もつかない思いでしょうね。
長野オリンピックの映像では、スピードスケートの清水選手が大柄なヨーロッパの選手を左右に従えて金メダルを嬉しそうに掲げていました。
私には堀井学選手のことがすぐ思い出されます。やはりずっと日本、いや世界のトップを走ってきた選手です、その前(だったかな?)の大会では銅メダルをとりました。地元長野では金メダルの有力候補でした。今は議員さんですね。
この大会の前にスケート靴に革新が起きていました。スラップスケート、今はみなこのタイプの、ブレードが後ろの部分が靴に固定されていないスケート靴を履いているらしいです。
すぐに新しい靴を試して使い始めた選手と、少し試すのが遅れた選手とに別れました。まさかそんなに大きな違いが出ると思わなかった選手も多かったのでしょう。
清水選手は前者、堀井選手は後者でした。スラップスケートに適応する時間が足りなかったのでしょう。全く滑りに精彩を欠いて下位に終わった堀井選手が目に涙を光らせながら気丈にインタビューに答えていた場面が忘れられません。
藤沢選手も堀井選手も美しき敗者でした。
私がアメリカにいた時にレークプラシッドで冬季五輪が開かれました。地元の大会でしたからアメリカでは連日オリンピック特集が組まれて大騒ぎでした。
この大会のスピードスケートで男子の5種目全てに金メダルと言う(おそらくもう2度とこういう快挙は達成されないと言われています)物凄いパフォーマンスを見せた21歳のエリック・ハイデン選手のことは忘れられません。
オリンピック前からとても話題になっていていろんな番組で紹介されていました。妹さんのベス・ハイデン選手も金メダル候補でしたが、プレッシャーの中アメリカが期待した結果は出せませんでした。
試合後のインタビューでベス選手が「本当にあなた達は・・・!」とマスコミに怒りをぶつけていたのも忘れられません。どこの国でも一緒ですね。選手たちに必要以上にプレッシャーをかける人たちがいます。
それに比べてエリック選手は本当に「飄々として」と言う言葉がぴったりの選手でした。ものすごいプレッシャーがあったはずですが、彼はそれを感じさせることなく戦い抜き、ヨーロッパの、いや世界中の選手、観衆を驚かせたのです。
オリンピック後のあるトークショーで(ジョニー・カーソン・ショーだったかなぁ?)「自転車やりたいんだ」と言っていたのが新鮮でした。
そのあとメディアに出なくなり、どうしていたのか?と思っていましたが。あっさりスケートから引退して医学部に入り整形外科医となって活躍しているそうです。スケートでお金をかせごうとは思っていなかったそうです。この頃が、本当のアマチュア選手が活躍した最後の時代かも知れませんね。
自転車競技も始め、北米の大会では優勝し、なんとツール・ド・フランスにも出場したというのですから、ほんとうにすごい・・・、と言うのか何というのか表現のしようがありません。ただあのレークプラシッドでは、まさに絶対王者でした。
モーグルの上村選手は残念でしたが、きっと彼女も「美しき敗者」として記憶に残る選手になるのでしょう。そして、それはもはや敗者ではないのかも知れませんね。