新原歯科医院

院長ブログ

Author Archives: 新原満

腕時計が

壊れました。購入して5年目ですが、秒針が動かず短、長針が狂いながら動いてます。

 

前のセイコーの時計も4~5年でダメになり、修理できるか?と診て貰いましたら、今の時計はメーカーに戻して直してもらうしかないそうなんですが、新しい時計を買った方がいいような見積もりが出まして、処分しました。

 

セイコーはダメだな、とシチズンを買ったのだけど、大差ありませんでした(笑)。

 

当たりはずれがあるんでしょうか、それとも安いものはみんなこんな感じなんでしょうか?さて今度は何にしよう?

 

昔の機械式の時計は結構長持ちしたような気がするのだけど・・・。

 

20160915_204615 「メイドインジャパン」よ、一体どうしたんだい?頼むぜい・・・・・・!

 カテゴリ:日々のこと

ロマゴン辛勝、ゴロフキン圧勝9/11/2016

日曜日のwowow、エキサイトマッチで豪華な3試合が放送されました。解説者として来ていた村田諒太選手が、「ワウワウ、凄いですよ!こんな豪華な3試合を一回の放送で見せてくれるなんて!」と興奮した面持ちで言っていました。自称ボクシングオタクの村田選手、いやいや嬉しそうでした(笑)。ほんとうにいいボクサーだなぁ、私は彼の大ファンです。

 

ミドル級の絶対王者ゴロフキン対2階級下の全勝王者ブルック。階級をスーパーフライに上げて4階級制覇を狙うパウンドフォーパウンド1位のロマゴン対クアドラス。

 

そしてこの試合に勝てば世界のメインイベンターも夢ではない亀海対強豪ヘスス・ソト・カラスの再戦、本当に豪華な3試合が組まれていました。

 

ロマゴン戦のセミファイナルが亀海選手の試合です。カリフォルニア州イングルウッドにあるファビュラスフォーラムで行われました。この会場は私がアメリカにいたころはNBAのロサンゼルス・レイカース、NHLのロサンゼルス・キングスの本拠地だったところです。今は両チームはステイプルセンターに本拠地を移したそうです。

 

まずは亀海選手、見事に打ち勝ちました。

kame1 相手のソト・カラス選手も納得した表情で亀海選手を称えていました。

 

日本では圧倒的な強さを誇っていた亀海選手もここ数年アメリカで苦労してきましたが、やっと世界への扉を開いた、と言えるかもしれません。これからも頑張って欲しいですね。期待しましょう!やはり帝拳ジムの力は凄いなぁ。内山選手にもこういう機会を与えてほしかった。

 

メインのロマゴン戦、あのローマン・ゴンザレスがこれほど苦戦するとはだれも予想していなかったでしょうね。顔を腫らしたロマゴンを始めて見ました。一つ階級を上げるということは大変なことなんだと言う事を改めて思い知らされました。

 

ゴンザレス選手は連打で相手を倒して行くファイターですが、ミニマムから上げて来て、さすがにこのクラスでは彼のパンチは強いとは言えないのでしょうか?やや体調に問題があったとも聞いていますがどうなんだろう?

 

でもいつの間にか相手をロープに追い込むフットワーク、疲れを見せぬ連打で相手に打たせるヒマを与えないガッツ、そして打たれるリスクを恐れずに打ち続けるかれのボクシングはやはりすごい!

 

roma1

 

負けたクアドラスは明らかに判定に不服だったようで、試合後さっさとリングを離れてしまいました。でもパンチの数、押し気味に戦ったラウンド数など考慮しますと判定は(少し差が大きすぎたかもしれませんが)正しかったと私は思います。

 

日本の井上尚弥選手が大橋会長共々試合を見ていたところが画面に映りました。このあとゴンザレス選手と井上選手の試合に関して口頭で合意があったようです。この日の試合を見て井上選手の勝利の確立が少し増えたようにみな思ったことでしょう。

 

恐らく来年になると言われていますが、井上選手がこぶしを傷めずに戦えれば大きなチャンスがあるかもしれません。井上選手は既にスーパーフライでも減量がきつくなっているようですし、その前に二人とも伏兵に足元を掬われないようにしなければなりませんが、一つ大きな楽しみが増えましたね。

 

そしてゴロフキン戦です。ロンドンで行われたこの試合には大観衆が訪れ凄い盛り上がりようでした。ただ全勝とは言っても2階級下のウエルターです。ミドル級最強のパンチを誇るゴロフキンとやるのはどうなんだろう?と各方面から疑問が上がっていました。

 

なにしろゴロフキンはあまりに強すぎて対戦相手をさがすのにかなり苦労するこの頃です。試合を受けてくれるのならだれでも構わない、という事情もあるのでしょう。

 

しかし、WBAがあまりにブルックの身が危険だと、この試合を認定しなかったのですが、やはり力が違いすぎました。強烈なパンチを貰ったブルックがグラついた次のラウンド、早々とセコンドが白いタオルを振りましたがレフェリーが気づかず、最後には投げ込みました。

 

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なんで止めるんだ?と言うブルック選手。でも試合後は納得していたようです。ゴロフキンのパンチで眼窩が折れたかと思ったそうです。早くストップして正解でした。

 

(ジョー小泉さんの解説によると、ギブアップするとき日本ではタオルを投げ入れますが、海外ではただ振り回してしらせるのだそうです。いやぁ~、勉強になりますね(笑)。)

 

さてゴロフキン選手は今度はサウル・(カネロ)アルバレスとの対戦が期待されるところです。そして井上対ロマゴン。来年も好試合が見られることでしょう。なんとか内山高志選手にも復活してもらいたいなぁ・・・。

 カテゴリ:スポーツの話

9月30日(金)は休診とさせて頂きます。

9月30日(金)は所用の為休診とさせて頂きます。宜しくお願い致します。

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イップス悪化のラウンド・9/10/2016

夏の終わり、好天のある土曜日。船橋カントリー倶楽部。一か月ぶりのゴルフでした。

 

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いまだマスクと長そでが必須のOsくん。この日の前半は絶好調でした。白血病から復活後初めての50切りでした。参りました。

 

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始めて付いてくれた泉谷さん。20歳だそうです。若い!

 

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最近地元のゴルフスクールでレッスンを受け始め、好調のGtくん、この日はコーチに早変わり。Hwさんに即席レッスン。Hwさんはシャンクに苦しんでいました。50肩の影響もあり、ままならぬ一日でした。

 

Gtくん、生まれて初めて受けたレッスンでドライバーの調子を取り戻し、この難コースで久々にアウト、イン共に50切り。素晴らしい!トリ一回、あとは殆どボギーでした。

 

私は後半アプローチイップスの症状が悪化、10ヤード以内のアプローチ、空振り3回、ザックリ、トップ多々・・・、ただの一度も普通に打てませんでした。パーオンした2ホールでパー二つゲット、乗らずにアプローチ必要だったそれ以外のホールではボギーさえも取れず(ノーボギー(笑))、ダボさえままならず、殆どが4オーバー前後、久しぶりに60を越え、65(泣)。

 

こんなこともあるさ(笑)、笑い飛ばすしかありません。前週に八千代台の明治ゴルフセンターで一時間みっちり芝生の上からアプローチの練習したにもかかわらず、メンタルの病はそう簡単には治りませんね。

 

因みに練習ではかなり普通に打てるし、寄せられるようになっています。最悪の頃は練習でも身体がこわばって動かなかったからなぁ、ショートアイアンのフルショットでさえ普通に打てなかったあのころに比べれば(なにしろ8鉄よりも4鉄のほうが簡単、楽に打てていました)フルショットなら普通に打てるようになりました。少なくとも練習ならばショートアプローチでも少しは身体が動いてくれるようになったというのは格段の進歩だ、と嬉しく思っています。

 

あとは・・・、飲んで忘れましょうか(笑)。

 

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開店したばかりの「はな膳」白井店。見ればOsくんの腹の出具合も復活し始めました(笑)。

 

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酒池肉林・・・(とまでは行きませんが)

 

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毎月会っていても話は尽きないオジサンたち。今日もお疲れ様でした。

 

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先々月からキャディマスター室の窓に貼ってあります。よく見ると「関東ゴルフ連盟」の名がありました。

 

いつも早く、と思っては、いるのですがね・・・。スミマセン(笑)また宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カテゴリ:日々のこと

秋の気配

暑かった夏もやっと終わりを告げようとしているようです。まだ気温は高いですが、ややカラッとした感じになって来て過ごしやすくなりました。来週は予報では30度を下回る日が続きそうです。秋の気配が感じられます。

 

かなり前の事ですが、私の一つ年上の姉が「秋になると涙もろくなるのよね、女は簡単に泣けるのよ、秋が深まって枯葉が落ちるのを見るだけで泣けちゃうの。」等と話しまして、へぇ~そうなんだ・・・、不思議だなぁ・・・、なんて思ってました。

 

私なんぞは子供の頃こそは泣き虫毛虫だったのですが、ある程度歳がいってからは、殆ど涙を流すことがなくなりました。誰から言われた訳でもなく、やはり男は簡単に泣くものではない・・・、と知らぬ間に思うようになっていたのでしょう。

 

でも中年と言われる年頃になったあたりから、何故か少しづつ涙もろくなってまいりました。映画や小説、漫画、感動するシーンになると胸が詰まって来ます。お恥ずかしい話ですが、一度涙腺が緩むと涙が止まりません。

 

息子と一緒にテレビを観ていて、そういうシーンになりますと息子がチラチラと私の方を見ます。「いつ泣き出すかな?ふふふ。」と楽しまれてしまっておりました。(笑)

 

秋の気配を感じると、余計涙もろくなりそうな自分を見て、昔の姉の言葉を思い出します。先日もパラリンピックの選手を紹介するようなテレビ番組を観ているだけで、涙がこぼれてしまいました。

 

そういう事で泣いてしまうのは選手に対して失礼かなぁ?とも思ったりするのですが、出ちゃうもんはしょうがない。許していただきたいものです。本選を観ていたらもっと泣いちゃうかもしれないから、あまり観ないかもしれません。でも皆さんには頑張って欲しいですね。

 

この季節になるとジャズのライブでも秋に関連した曲をよくやるようになります。今年は「Tis` Autumn」を聴けるだろうか?秋が通り過ぎればまた冬がやって来ます。そして一年が過ぎて行きますね。はやいなぁ・・・。

 

始めに書きました姉との会話ですが、最後に私はとどめを刺されました。「女はいつでも泣けちゃうの。だからあんた、女の涙なんて信じちゃダメよ。」だって・・・。おいおい、ほんの子供になんちゅうこと言う姉なんじゃ!(笑)

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 カテゴリ:日々のこと

ユリシス・オーウェンズ・ジュニア、大林武司・御茶ノ水ナル・9/5/2016

月曜日、前から気にはなっていて、どうしようかなぁ・・・、とずっと思っていたのですが、やっぱり行って来ました。仕事終わって電話すると、「ご相席なら・・・」との事。でも行ってみましたらカウンターの隅っこに入れて貰えました。キャンセルがあったのかな?相席だとテーブルに背を向けて座るので、ドリンクを取りづらいのです。カウンターで助かりました。

 

20160905_194156 カウンターの隅にあるレトロなタイプライター。私はこのオブジェが好きで、実は時々イタズラしています。(絶対ナイショの話ですが(笑))

 

何人も立ち見の人がいるなぁ、と思ったら殆どがミュージシャンでした。アメリカで交友があった人もいるだろうし、そうでない人も興味があるんでしょうね。若いミュージシャンが大勢来ていました。混み合っているときはミュージシャンの方々は立ち見です。

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オーエンズくんは聞くところによるとアメリカで人気ナンバーワンの若手ドラマーだそうです。なんと、カート・エリングやクリスチャン・マクブライドのアルバムに参加したそのCDたちはグラミー賞をとったそうです。Ulyssesと言うファーストネームは日本語流に言うと「ユリシーズ」、ギリシャ神話に出てくる名前ですね、(神様だったか英雄だったか忘れましたが(笑))英語ではユリシスと発音するみたいです。

 

ピアノの大林くんは今年アメリカで新人の登竜門と目されるようなコンテストで優勝してニューヨークで活躍中のピアニストだとか・・・。アメリカで活動しているミュージシャンは多いみたいですが、なかなかいい箱で演奏できる人は少ないみたい。彼は頑張っているようです。

 

その二人にベースの中村恭司くん(彼はニューヨークでひっぱりだこの人気ベーシストだそうです。)、それにトランペット、アルトサックスを加えて「New Century Jazz Quintet」と言うユニットを作り好評を得ている・・・、等々聞いていましたから、私も「さて行こうかどうしようか・・」と思っていました。

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オーエンズさんの動画をチェックしてみたら、たまたまちょっと変わったドラミングをしていた(ドラムの横や足を叩いたり・・・)動画だったもんで、いつもこんな感じなのかなぁ・・、とちょっと心配で(そういうのは私にはちょっと辛い)、行こうか迷っていたのです。それと彼らのアルバムがオリジナル中心だったことも私を悩ませる原因でした。

 

さて一曲目が始まりました。MC無しで始めたのは「Love is Here to Stay」ちょっと驚きましたが、「これなら聴きやすいわい」と安堵しました(笑)。演奏も変わったことはせず、美しい歌を美しい若々しい音色で奏でて行きます。ユリシス君のドラムや栗谷くんのベースがいいところでアクセントをつけますが、決してバランスを崩すようなものではありません。

 

一曲目を終えて、ユリシス君と大林君が少し話しました。そう、この夜は管なしのピアノトリオ、そしてレギュラーベーシストの中村さんは忙し過ぎて来れず、かわりに栗谷巧さんというベーシストが入っていました。レギュラーメンバーの少ないこの日はスタンダード中心に演奏するとの事でした。

 

「いやぁ、助かったわ・・・、」私にはその方が助かります。ギリギリまで悩みましたが、来てよかったかな(笑)。栗谷さんと言う名前も知りませんでしたが、正確でいい音を出す人だな、と言う印象です。北海道で活動しているらしいですが、中村さんが推薦したそうですからきっと名の知られた人なのでしょう。

kuriya 栗谷さん

 

話はそれますが、大林くんは英語上手いですねぇ。彼のMCでお客さんが盛り上がったときに、ユリシスくんが「どうしたんだ?」と気になったようで、大林くんが英語で「今こういう事話したんだよ・・・。」とユリシス君に教えていたのですが、発音等々抜群でした。

 

ジャズのミュージシャンはアメリカに留学経験があったり、アメリカで暫く活動していた方が多く、英語を使いこなす人が多いようですが、何年もアメリカにいても上手くならない人も時々います。実は私もその一人。

 

10年も住んでいたのに英語は下手くそです。結構日本人が多かったので、ついつい日本人とつるんでしまい、あまり英語を使おうと努力しませんでした。だから自分は下手なんですが、人の話すところを聞いて、上手い下手はよくわかります。彼のように英語上手な人は羨ましいですね。ニューヨークにもバークレーにも日本人が大勢いるそうですから、私のような人も少なからずいるだろうな、と思います。

 

さて演奏は続いて行きます。満員のナルはどんどん盛り上がって行きます。私もうるさいですが、後ろからあちらこちらから声援が上がり始めました。一曲ユリシスさんのオリジナルを挟んで「No Greater Love」、「Body & Soul」と続けて行きました。いい歌ばっかりだなぁ・・・。大好きです。

 

ちょっとネットで見たのですが、トランぺッターのメンバーが歌が上手いそうなもんで、ゆくゆくはボーカルも入れたアルバムを作ることも視野に入れているんだそうです。私はそういうの大好きです。ユリシスさんはカート・エリングやニーナ・フリーロンのツァーに参加したりしているだけあって歌も好きなんでしょうね。歌心のあるインストが大好きです。

uri3

 

ど素人の私ですからホントにわかっているわけではありませんが、ユリシスさんのドラムは、「うん、ちょっと違うな・・・。」と感じました。クラッシック音楽ではいろんな打楽器が使われます。作曲者がここぞと言う場面に効果的にそれらの打楽器を入れます。指揮者によっては、その使い方も微妙に変えたりするのでしょう。

 

私の超個人的な理解ですが、ジャズではドラマーひとりでそれらの打楽器の役目をします。それも、細かい楽譜などジャズにはありませんから、他のプレーヤー同様に(勿論いろんな決まり事はあるのでしょうが)そのときどきの周りとの音の流れ、空気を感じながら様々な音を出して音楽を創って行く・・・、そんな風に考えています。(私からすれば、彼らジャズミュージシャンのそういう演奏は「神業」としか思えませんが・・・。)

 

聴きながら、「ここでビシッと来い!」とか思いながら聴くこともあります。ユリシスさんのドラムは、まず音が美しいこと、そして、私の意表をつくタイミングで叩いたり、おぉ!ここでそう来るかぁ!と思わせる事がしばしば、それが心地よい、しかも決して邪魔しないと言うか、独りよがりにはなり得ないような人格が感じられました。

 

大林さんのピアノも最高でした。やはり音色がとても綺麗。きっと技術的にも(私にはよくわかりませんが)申し分ないものがあるのでしょう。強弱の付け方が綺麗です。弱い音が切なくなるほど綺麗です。

 

「Body & Soul」では大林くん、2コーラス終えてとても気持ちよく弾いています。だれもがもっと聴きたく思ったでしょう。そして3コーラス目も続け、結局最後まで弾き切りました。これだけ美しく弾いているのにソロをまわす必要ありませんよね。いやぁ、よかった・・・。素晴らしい演奏に大拍手でした。

 

相変わらず1セットで帰る私です。階段を上がって上に出ると、大林君と(多分ドラムの柴田亮君だと思いますが)日本人ミュージシャンが話していました。柴田くんが「いやぁ、あいつやっぱすげぇや・・・。」と話しているのが聞こえました。

 

大林君に手を出すと流石アメリカ在住、しっかりと強く握ってくれて、頭を下げて「どうも有難うございました!」と言ってくれました。いい音楽とこの丁寧な挨拶にとても気を良くして帰る客がそこにいました(笑)。また機会があれば聴きたいトリオです。そして世界に羽ばたいて行ってくれることを願っています。

 カテゴリ:音楽の話

隅田川

土曜日に墓参りに行くために錦糸町で首都高に乗りました。両国で隅田川を渡ります。見ると川の水が茶色く濁っています。先週よりは色が薄くなりましたが、まだ一週間前の台風の影響が残っていました。

 

いつも台風などの大雨のあと、荒川上流で流された土、泥で川の水が茶色になります。ただ今回のように長い間濁りが続くことは珍しいのではないかな?大きな台風が続けて来ましたからね。

 

自然の営みを感じますね。帰りに用事があって反対方向(千葉方面)に行きました。広い荒川放水路も同じように茶色い水が流れておりました。(当たり前か(笑))

 

今の隅田川は江戸時代までは荒川だったのです。寛永年間に洪水を防ぐために今の北区に当たる地域から放水路が作られました。本流は隅田川と呼ばれるようになり、荒川の名は私の実家のある葛飾区沿いに流れる荒川放水路に継がれました。

 

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大工事だったんだろうなぁ・・・。江戸城を作ったり、その前は(資料が殆どなく実態は明らかになっていないそうですが)大阪城、安土城、聚楽第・・・、等々世界に誇れる巨大木造建築物を建てて来た当時の日本の土木技術の高さ、また権力者たちの資金力には驚くばかりです。

 

等と、隅田川、荒川の茶色い水の流れを見ていたら、徒然なるままに思いが巡っていきました。

 

sumida1 普段はこんな色の水の流れなのですが。

 

 

 

 カテゴリ:日々のこと

雲の上の人

8月の最後の日、代々木ナルにお邪魔しました。世界で一番楽しそうに演奏するピアニストの吉岡秀晃さん、ベースの香川裕史さん、そしていつまでも若くてキュートなボーカルの渡辺明日香さんの3人が出演しました。

 

このメンバーで(時々ピアノが剛さんになったり)毎月代ナルに出演する人気のトリオです。私の大好きなミュージシャンたちですが、この人達が「雲の上の人」ではないのです。

 

いろんなライブに行っていて、有名な人、そうでない人、大勢の演奏を聴いてきましたが、世界的に有名な方であっても私には「雲の上の人」ではありません。

 

勿論「わぁ~~~!すげぇなぁ!」と感動したり、尊敬するのですが、ミュージシャンは私にとっては別の世界の人たちですから、自分と比べる対象ではありません。いい音楽を届けてくれる素晴らしい才能の芸術家たちです。憧れの存在なんだけど、だから話をしたいとか、友達になりたいとか、そういう存在ではありません。

 

この素晴らしい芸術家たちは、私のような凡人とは違う空の下にいる、と言うか・・・、おかしな表現ですが(他意も悪意もありません、失礼と思われたら謝罪しますが・・・。)同じ空を見ていない・・・、こっちの方が近いかな?そんな感じ。同じ空の下にいないので雲の上にいるのかどうかも分からないような感じでしょうか?うまく表現できませんが・・・。

 

さてこの日も吉岡さんと香川さんがまずインストでいつものように満面の笑みでファンキーなカッコいいフレーズを連発してお客さんたちを楽しませていましたが、演奏中に後から入って来たお客さんが私の前を通り、奥のボックス席に座りました。

 

あれ?見たことある顔だぞ!と思い、失礼ながらじろじろと見てしまいました。この夜フロア担当だった代ナルスタッフのルーリーが来たので「あのひと、もしかして前原さんっていう名前?」と聞いてみました。

 

「いや知らないんで、あとで聞いてきます。」と言ってカウンターで準備している渡辺明日香さんの所へ行きました。その方が席に着きながら渡辺さんに挨拶していたのでおそらくお知り合いかファンの方なのでしょう。

 

留理子さん、戻って来て「はい、前原さんだそうですよ。」、私「やっぱりね、あの人はねぇ・・・」と言いかけると、ルーリー「はい、明日香さんから聞きました。日本卓球協会の副会長さんですってね。」、私「うん、実は高校生の時試合したことあるんだよ。」、「へぇ~!新原さん卓球部だったの?」

 

と言う話になった訳です。前原さんと私は同学年でして、彼は一年生にして強豪明治高校のポイントゲッター、私は弱小都立墨田川高校のベンチメンバーでした。東京都大会の団体戦の三回戦で私たちは彼のいる明治高校と当たってボロ負け致しました。(実は私は試合していません、補欠でしたから(笑))

 

試合を見ながら、やっぱすげぇなぁ・・・、と思っているうちに3-0で負けていました。(笑)

 

彼は明治中学時代には墨田区で優勝していたはずですが、その頃から有名だったんです。高校でも東京ではかなりいいところまで行きましたが、当時の東京都の卓球界は全国的にはレベルが低く、東京都の一位がインターハイの個人戦でベスト16まで行けるかどうかというレベルでした。前原さんもそれくらいだったんじゃないかなぁ。それでも私からすれば、前原正浩は「雲の上の存在」だったのです。

 

明治大学に進んだ彼は努力を重ね、大学では日本のトップレベルの選手になりました。でも失礼な言い方だけど、彼が日本選手権に優勝するほど強くなるとは思っていませんでした。正直もっと素質のある選手がいたと思います。

 

でも彼は努力する素質があったんでしょうか、社会人となってからなお強くなり、28歳で日本選手権をとりました。私は当時日本にいませんでしたが、ニュースは届くものです。「へぇ~、あの前原が全日本とったか・・・。やっぱすげぇなぁ、よかったなぁ・・・。」

 

面識はありませんが、同学年で同じ下町出身の前原さんが日本一になったと聞いて、驚きと、喜びを感じました。そして初めから雲の上にいた彼はもっと高い雲の上の人になりました。

 

その後の事は詳しくは知りませんが、日本代表の監督だったころはテレビに映る彼を見ました。その後協会の仕事をしていたのだと思いますが、今回のオリンピックにも帯同して行っていたようで、よくテレビに映っていましたね。

 

今回リオで活躍した水谷選手をはじめとした若手を育成するシステムを作った事にも前原さんの功績がかなりあると言う事です。

 

私たちが子供だった頃、荻村伊知郎さん、田中利明さん、長谷川さん、伊藤さん、と日本の卓球は世界を征して来ました。日本ではピンポンは大人気のスポーツだったのです。それが私が中学校で卓球部に入ったころからから日本の卓球界は暗黒時代に入り、人気もなくなり世界でも勝てなくなりました。

 

世界卓球界で急速に力をつけて来た中国で文化大革命が始まり、中国はスポーツ界から離れていましたが、その革命も終わり、世界の舞台に返り咲いてきたこともありました。(文化大革命の期間にかなりの中国人スポーツ選手たちが、卓球選手を含めてですが、苦しい悲惨な運命を辿ったと聞いています。)

 

それだけではなく日本の経済の躍進に伴い日本人があらゆるスポーツを楽しめる幸せな時代になって来た過渡期であったのでしょう。メキシコオリンピックで釜本さん、杉山さんを擁したサッカー日本代表が銅メダルをとったあと、皆サッカーをやり始めた・・・、そんな時代だったなぁ・・・。

 

その時代をくぐってきた前原さんはじめ卓球協会、関係者たちの努力で、また日本の卓球は世界と戦えるようになり、少しづつ人気も回復してきています。前原さんの功績は大きなものがあります。今回のオリンピックでの水谷選手の試合を見た友人が「凄かったなぁ!」と驚いていたのが嬉しかったですね。

 

そして日本人としては荻村伊知朗さん、木村興次さん以来三人目だそうですが、国際卓球連盟の副会長にまでなりました。彼は、またまたもっと高い「雲の上の人」になってしまいました。

 

ほんの6年間ですが、中学、高校と私も自分なりに一生懸命卓球をしていたつもりですが、私の努力など前原さんたちの努力に比べれば屁みたいなもんだったんだろうなぁ・・・。(ちょっと汚い表現で失礼(笑))いつも3回戦ボーイの私でしたから(笑)。

 

でも同じ歳で同じ時期に同じ競技をしていたと言う共通項があります。その時は同じ空の下で同じ空を見ていたのです。そしてずっと一つの道を行き高みに登った彼と同じコートに立ったことがあるのだ、と自慢したくなってしまうのは何故でしょう(笑)?同級生が雲の上の人になったことは私の誇りです(笑)。

 

maehara 眼鏡の人が前原正浩さんです。

 

渡辺明日香さんが1セット目の終わりに前原さんをお客さんに紹介していましたが、「ホォ~~!」と言う声があちらこちらで上がっていました。

 

帰り際に前原さんにご挨拶をして握手して頂きました。東京オリンピックは全力で応援したいと思います。私にとって「雲の上の人」である国際卓球連盟副会長の前原さんですが、その道から遠ざかって地上にいる今の私と同じようにジャズに親しんでいることを知って嬉しく思った一夜でした。

 カテゴリ:スポーツの話, 日々のこと

馬の話

一か月くらい前ですが、東陽町のヨーカドーに買い物に行こうとして車で行きましたら、渋滞に出くわしました。香取神社の祭礼だったのですね。(たまたまこの週末は亀戸天神のお祭りでした。)

 

参ったなぁ・・・、と思いながら「写真でも撮るか?」と何枚か・・・。

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お馬さんも出ていました。

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時々こういう行事に馬が使われます。ゆっくり動く行列の中、おとなしく待っています。すぐ後ろに人がいます。

 

私は大学時代に体育の授業で乗馬のクラスをとったことがあります。子供のころから馬が好きだったし、やっぱり西部劇などに憧れて馬に乗ってみたいとずっと思っていましたから、大学の体育に乗馬のクラスがあるなんて、これを逃すわけには行きませんでしょう?

 

カリフォルニア州リバーサイド市の郊外にあった大学には牧場のような敷地もあり、乗馬クラス用の馬たちがいました。まずは馬の手入れから学びます。ひずめの掃除、体にブラシをかけます。そして馬に鞍とくつわ(ハミ)をつけます。

 

そして騎乗。鞍はウエスタンスタイルです。

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良く見る乗馬競技にはイースタンスタイルの鞍が使われますが、アメリカの鞍には取っ手のようなものが付いています。

 

e-w 上がイースタン、下がウエスタンです。

 

この取っ手みたいなものは摑まるところではないのだけど、初めて馬に乗った私たちは落ちそうで怖くてついつい摑まってしまいます。

 

そして基本的な馬への指示の仕方を習い、まず歩くことから始まります。いやぁ、なかなか気持ちのいいものでありました。

 

そしてJog、(速足)です。人間のジョギングはゆっくり走る事ですが、馬のジョグ(トロットとも言うみたい)は並足で早く歩くことです。これが結構上下運動があって鞍がお尻に当たり痛かったです。

jog

 

そしてキャンター、軽く走ります。この方がお尻には楽でした。結構気持ちよかったですね。馬を走らせている気になりました。

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乗馬のクラスを2学期続けてとったのですが、2学期目は雨に祟られて半分以上実技中止となりまして、あまりそれ以上の事は出来ずに終わりました。やっと馬に乗せて貰った程度でした。でもギャロップをするにはかなり乗りこなせなければ無理のように思います。

 

galopギャロップ。全力で走られたら私たちはきっと振り落とされます。

 

こんなことを思い出したのも、あのお祭りの馬を見たからです。後ろの人、危なくないのかなぁ・・・?と思って見ていました。よっぽど大人しい、またよく調教された馬なんだろうな。

 

乗馬のクラスでまず厳しく言われたのは、決して馬の後ろを軽々しく通らない、と言う事でした。馬はただでさえ臆病なのに加え、目が両側についていますが、後ろに何か視線に入ると警戒して後ろ足で蹴る事があるのだそうです。

 

また、少々やんちゃな面もあり、わざと自分のお尻を人間に向けて蹴ることもあるんだとか・・・。ですからどうしても後ろを通らなければならないときは、おしりを手で触りながら、「今ここを通るよ」と馬に知らせて、さっと通るようにしなさい、と教えられました。

 

2度ほど授業中に馬がイタズラ(お尻を生徒の方に向けたのです)をしたことがありました。常に素人集団の私たちを守るためにまわりに注意を払っていた先生がそれに気づきました。

 

先生はその馬に近づくや否や、思いっきり馬の顔をぶん殴りました。そしてその馬にまたがり、走り出します。物凄い荒っぽい乗り方で走り回る事数分。(まるで西部劇を見ているみたいでしたよ)馬が疲れ切って、「すみません、もうしません!」っと言っているようでした。そして戻って来たのです。こうやって厳しくしつけないと何度もイタズラを繰り返すようになり、とても危険なんだそうです。いやぁ、凄かった!

 

もう40年前のことですが鮮烈に覚えているあの事を思い出し、いやぁ、この馬はホントにおとなしいんだろうなぁ?と感心したような、ちょっと心配になったような・・・、お祭りや何かの行事で時々見る景色なのですが、いつも私は不思議に思い、心配して見ています。

 カテゴリ:アメリカの思い出, 未分類

巨星墜つ・トゥーツシールマンス

8月22日(日)、麹町Pacoのオーナーが、「シールマンが亡くなりましたね。」と話しました。「だから、今日はブルーゼットかけてます。」「えぇ~~~!ほんとですか?」「うん、今年も日本に来る予定だったんですけどね・・・。」

 

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ハーモニカ奏者としてまさに「唯一無二」の存在と言っていいですよね。日本でも彼は非常に人気があり、昔から日本の映画の音楽などにも使われたりしていましたが・・・。数年前に日本ブルーノートで初めて生で聴いて痺れました。でもその時既に移動には車いすを使っていたかな。

 

もう何十年前だろう?彼を全く知らなかった私でしたが、テレビをつけるとたまたま彼の日本公演の中継(だったか定かではありませんが・・・)をやっていたのです。彼はギターを弾いていて、口笛を吹いていました。口笛とギターのユニゾンがとても美しく、ウワァ~、カッコいい!と思ったのが彼を知った瞬間でした。

 

その頃はジャズなんて知らなくって、でも彼のレコードを買って聴きましたねぇ。(そう、まだレコードお時代です。)私はギターが好きだったので、そこからです。そしてハーモニカの素晴らしさも知ることになりました。

to2彼も若かったかな・・・?

 

Thielemans の名前はアメリカに行ってからもよく耳にしましたし、テレビやラジオで流れる事も多かったですが、やっとその頃ジャズの世界で有名なのだと言う事を知ったのかな?(笑)

 

少しづつジャズも聴くようになってきて、余計彼の凄さを感じるようになったかもしれません。

 

いろいろなミュージシャンたちから引っ張りだこの存在でもありました。クインシー・ジョーンズがあるプロジェクトをやっている時、「何かひとつ、足らないんだよ・・・、と思っていたが、それはトゥーツだ!と分かった。トゥーツを呼んでくれ!」と言ったとか。

 

ジャコ・パストリアスのビッグバンド「ワード・オブ・マウス」にも参加しました。(そのライブCDを持っているのですが)その中でジャコとシールマンスが二人だけで「ソフィスティケイテッド・レディー」をやったのですが、もう鳥肌ものです。

toja

 

そしていつも素晴らしい笑顔で・・・。

to4

 

きっとみんなに愛されていたのでしょう。私はさほどのファンでもなかったし、あまり知識もないのですが、彼のファンの方々だけでなく多くの人々がいろいろな想いを持って彼を送っている事と思います。

 

彼の逝去を知り、浮かんだ言葉が「巨星墜つ」でした。

 

to3

 

有難う、さようなら・・・。

 

 

 

 

 カテゴリ:音楽の話

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