2014年2月19日 カテゴリ:お知らせ
Author Archives: 新原満
ソチは雨
ソチ冬季オリンピックも終わりに近づいてきましたね。今ノルディック複合LHが終わりました。渡部選手、転んでしまいました。残念でしたね。
それにしても、いつ見てもコース以外には雪が積もっていませんね。今日も雨です。東京の方が雪多いんじゃないの?
冬のオリンピックにしては珍しい暖かい気候ですね。観戦する人たちは楽かもしれませんね。こういうのもいいのかな?選手たちはベタ雪に苦労してるかも知れないけど。
プーチンさんの(気まぐれな?)「ここでオリンピックをやろう」という言葉から始まったプロジェクトらしいですね。
ジャンプ台他色々な競技場、施設を何もなかった所に新しく作らねばならなかったようです。その為に、多くの人々が強制収用により土地、家屋を奪われたと言う話を聞きました。そういうことはあまり報道されませんね。
日本でそんな事したら、成田の時のように大騒ぎになるでしょうね。特に共産党は猛烈に抗議することでしょう。ロシアの同胞には抗議しないのかなぁ・・?
2014年2月18日 カテゴリ:日々のこと
つぼみのままで
2週連続の週末の大雪になりました。亀戸駅までの遊歩道、桜並木ですが、雪の重さにたえかねたか、枝がいっぱい落ちていました。
結構太い枝も折れて落ちてます。夜中は風も強かったんでしょうか?自然の怖さを感じます。
いっぱい蕾がついた枝が多かったです。この雪に耐えられれば1か月後には綺麗な桜の花が咲いたのでしょうね。
残った枝もかなり垂れ下がっているものがあります。また元気を取り戻して、折れて落ちたつぼみたちの分も美しく咲いてほしいものです。
それも自然の素晴らしさでしょうか?
2014年2月15日 カテゴリ:日々のこと
Swing it boys
フィギアスケートの団体戦という種目でアイスダンスを見ました。いやぁきれいですね。かっこいいですねぇ。ペアとはまた違う良さがありますね。
カナダ(だったと思いますが)のアイスダンスチームが私の大好きな「Dream a little dream of me」と「Cheek to cheek」をBGMに使っていました。
そう、ジャズは元々ダンス音楽だったんですよね。アイスダンスにぴったりでした。それも、あの声はルイ・アームストロング(サッチモ)です。
となると、デュエットのあの声はエラ・フィッツジェラルドでしょうか?持っているCDを探してみました。たしかデュエットのアルバムひとつ持ってたはず。
ありました。「Cheek to cheek」は入ってました。この歌を歌う歌手は多いです。ときどきライブでも聴きます。「Dream a little・・・・」はそれぞれのソロのアルバムに入っていましたから、合成したのかも。
他にもいくつかこの二人のデュエットアルバムはあるそうなので、どこかで一緒にやっているかもしれませんね。この歌を歌う人は少なくて、めったにライブでは聴けません。
「Cheek to cheek]は多分フレッド・アステアのミュージカルで使われていたと思います。トム・ハンクスの「グリーン・マイル」でも感動的な使い方をしてました。
このエラ&ルイのアルバムでは歌のあとにルイのトランペット・ソロに入ります。その時にサッチモがバックのバンドに「Swing it boys!」と声をかけてソロに行きます。(坊やたち、スィングしようぜ!)みたいな感じでしょうか?
たまに同年代の人にも「Boys」と言うこともありますが、普通は年下、格下の人に言うのだろうと思います。
サッチモに「Boys」と呼ばれたバンドのメンバーはというと、ピアノがオスカー・ピーターソン、ベースにレイ・ブラウン、ギターがハーブ・エリス、ドラムはバディー・リッチです。
もう全員が伝説、レジェンドと言っていいですよね。ピーターソンは当時32歳だったそうです。50代の大御所ルイ、エラは40代、この二人からすればこのオスカー・ピーターソン・トリオ+1はまだまだ「Boys」だったんですね。
アイスダンスを見ながらそんなことを思い出しました。エラもルイも最高です。
2014年2月13日 カテゴリ:スポーツの話, 音楽の話
美しき敗者と絶対王者
冬季オリンピック開会前に昔の名場面などが多々放映されていました。子供のころに比べると段々興味が薄れて来ていますが、懐かしい映像を見るとスポーツおたくの私にはいろいろな思いでが蘇って来ます。
札幌の日の丸飛行隊、長野のスケート清水選手の映像が流れました。
札幌のジャンプ代表で一人だけメダルを取れなかった藤沢隆選手がすぐに思い出されます。
彼はそれまでの日本ジャンプ陣を引っ張って着た功労者でした。前年度には欧州のジャンプ週間で何勝もしていて、日本を代表する名選手だったのです。
残念ながら本番の地元のオリンピックの年には不調に陥りました。70メートル級(当時はノーマルヒルをそう呼んでいました)の1本目はいいジャンプをしましたが、2本目で下位に沈みました。
4人の日本代表が並んでいるシーンがよく出て来ます。一番右で少しうつむき加減で手を振っているのがただ一人メダルから遠ざかった藤沢選手です。どんな思いだったのか・・・、我々には想像もつかない思いでしょうね。
長野オリンピックの映像では、スピードスケートの清水選手が大柄なヨーロッパの選手を左右に従えて金メダルを嬉しそうに掲げていました。
私には堀井学選手のことがすぐ思い出されます。やはりずっと日本、いや世界のトップを走ってきた選手です、その前(だったかな?)の大会では銅メダルをとりました。地元長野では金メダルの有力候補でした。今は議員さんですね。
この大会の前にスケート靴に革新が起きていました。スラップスケート、今はみなこのタイプの、ブレードが後ろの部分が靴に固定されていないスケート靴を履いているらしいです。
すぐに新しい靴を試して使い始めた選手と、少し試すのが遅れた選手とに別れました。まさかそんなに大きな違いが出ると思わなかった選手も多かったのでしょう。
清水選手は前者、堀井選手は後者でした。スラップスケートに適応する時間が足りなかったのでしょう。全く滑りに精彩を欠いて下位に終わった堀井選手が目に涙を光らせながら気丈にインタビューに答えていた場面が忘れられません。
藤沢選手も堀井選手も美しき敗者でした。
私がアメリカにいた時にレークプラシッドで冬季五輪が開かれました。地元の大会でしたからアメリカでは連日オリンピック特集が組まれて大騒ぎでした。
この大会のスピードスケートで男子の5種目全てに金メダルと言う(おそらくもう2度とこういう快挙は達成されないと言われています)物凄いパフォーマンスを見せた21歳のエリック・ハイデン選手のことは忘れられません。
オリンピック前からとても話題になっていていろんな番組で紹介されていました。妹さんのベス・ハイデン選手も金メダル候補でしたが、プレッシャーの中アメリカが期待した結果は出せませんでした。
試合後のインタビューでベス選手が「本当にあなた達は・・・!」とマスコミに怒りをぶつけていたのも忘れられません。どこの国でも一緒ですね。選手たちに必要以上にプレッシャーをかける人たちがいます。
それに比べてエリック選手は本当に「飄々として」と言う言葉がぴったりの選手でした。ものすごいプレッシャーがあったはずですが、彼はそれを感じさせることなく戦い抜き、ヨーロッパの、いや世界中の選手、観衆を驚かせたのです。
オリンピック後のあるトークショーで(ジョニー・カーソン・ショーだったかなぁ?)「自転車やりたいんだ」と言っていたのが新鮮でした。
そのあとメディアに出なくなり、どうしていたのか?と思っていましたが。あっさりスケートから引退して医学部に入り整形外科医となって活躍しているそうです。スケートでお金をかせごうとは思っていなかったそうです。この頃が、本当のアマチュア選手が活躍した最後の時代かも知れませんね。
自転車競技も始め、北米の大会では優勝し、なんとツール・ド・フランスにも出場したというのですから、ほんとうにすごい・・・、と言うのか何というのか表現のしようがありません。ただあのレークプラシッドでは、まさに絶対王者でした。
モーグルの上村選手は残念でしたが、きっと彼女も「美しき敗者」として記憶に残る選手になるのでしょう。そして、それはもはや敗者ではないのかも知れませんね。
ウインチェルズ(Winchell`s)
先日Wowowでボクシングの試合を見ていましたら、ある選手のトランクスのベルト部分にWinchell`s と書かれていました。
懐かしいなぁ。ボクシングも面白かったけど、学生時代によく行ったドーナツ屋さんを思い出しました。
多分アメリカの西部の州にしかなかったんだと記憶しています。東部では(私がいた1970年代は)ダンキンとか、ミスドが多かったのかな?(ミスドはその後ダンキンに買収されたそうです)
いまでも亀戸のミスドはよく行きます。エンゼルクリームが大好きです。ウインチェルズではそれに似てるけど、中身がラズベリーのラズベリーフィルと言うドーナツがあってよく食べました。
ドーナツと関係なくブルーベリーとかラズベリーのジャムが好きでした。アプリコットも大好きです。ジャムをそのまま食べたりしてましたから。
書いてたら口によだれがたまってきたぞ・・・。やっと少しウエストが細くなり始めたところなのに、まずいなぁ・・・。
急性化膿性根尖性歯周炎
とても治療に苦労する症状の一つです。なんらかの原因で顎の骨の中に埋まっている歯根のまわりに膿がたまり始めて強い痛みや腫れに加え、熱が出ることもあります。
この写真は歯根嚢胞の例で、急性化膿性根尖性歯周炎とは違う症例ですが、これと同じように歯根のまわりの骨が溶かされ膿がたまります。レントゲン象では似通った映像になります。
骨は風船のように膨らみませんから、膿の量が増えるとまわりの骨に強い圧力がかかり、また炎症を起こしていますから、激しい痛みが出ます。
上のような写真は虫歯で歯髄が侵され壊死したために細菌が根の先から出て周囲の組織を化膿させたものがこのように映ります。
壊死した歯髄を取り除き、根尖まで交通させるとたまった膿が排出されて、圧力が和らぎ、痛みを抑えることが出来ます。
困るのはこの写真のように過去に虫歯でやられた神経をとる治療(根管治療)がなされた歯にこの症状が出たときです。
根管治療が不十分であったり、なんらかの刺激で神経(歯髄)をとったあとに(10年以上たってから出ることもあります)この症状が出ます。
痛みをとるためには膿を出して内圧を下げないといけないのですが、まずかぶせてある冠を削って壊してはずさねばなりません。
そしてなお写真で歯の根の中心に白く映っているコアーと言う金属(根を補強するためのものです)をなんとかはずさないと膿を抜く排膿路が開きません。これがとても時間のかかる作業になることがあります。
それらのことをするのに時間もかかるし削る振動は抑えられません。悪いことにこのような症状のときは炎症のせいで麻酔が非常に効きづらくなっています。
冠やコアーを除去するのもかなり難しいケースがあります。根も脆くなっていますから歯根が破折するリスクも高くなります。
なにもしなくても激痛に苦しんでいる患者さんは痛みをとるためのそれらの治療の振動での痛みに長い時間耐えなければいけないこともしばしばあります。
私たちにとっても患者さんが痛んでいるのを見ながら治療することはとてもつらいことです。でも患者さんを激痛から解放するためには少しでも早く治療を終えるように努めなければなりません。
悪いことは重なるもので、こうして苦労して治療を終えても成功率はおそらく7割程度であろうと思われます。2~3割は将来的に抜歯の適応になってしまいます。
苦しい治療もある。すべて治せる訳でもない。こういう難しい症状に移行しないように祈るばかりです。そしてそれらは殆どのケースで小さな虫歯から始まるのだ、と言うことを忘れないようにして頂けたら、と願っています。
霜柱
私の自宅からJR亀戸駅まで徒歩5分の遊歩道を歩きます。歩道の両側に桜並木が続き、桜以外にもいろいろな木が植えられています。
今日のように寒い朝は木が植えられている地面に霜柱が立ちます。
子供のころは霜柱を見つけると、それを踏んでガシャガシャっと霜が砕ける感触が気持ちよくって、楽しみにしていました。
この歳になっても霜柱を見ると踏んでみたい衝動にかられます。
ただ、朝のこの道は通学路でもあるので、近所の子供たちや、裏の城東高校の生徒たちが歩いていますから、さすがに恥ずかしくて歩道から横の土の地面へそれて霜柱を踏み歩くのは控えています。
うぅ・・・、残念!