新原歯科医院

院長ブログ

Author Archives: 新原満

2、3月の診療

助手の池野さんの退職に伴いスタッフが入れ替わりますが、2月末から3月、4月初めにかけてどうしてもスタッフの都合をつけられない日が数日発生します。

 

その数日は予約を入れられるケースが限られてしまいます。出来る限り患者さんにはご迷惑をおかけせぬように努めますが、ご不便が生じることもあるかも知れません。

 

申し訳ありませんがどうかご理解、ご容赦のほどお願い致します。

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2月18日(木)は休診とさせて頂きます。

休診のお知らせ

 

2月18日(木)は所用の為休診とさせて頂きます。

 カテゴリ:お知らせ

続・武士の実力(三十三間堂通し矢からの考察)

もう30年くらい前でしょうか?テレビで「通し矢に挑戦」という企画があり、私は漫画の通し矢物語でそのことに興味を持っていましたので、興味新々でその番組を見た記憶があります。

 

現代の弓の第一人者が弓具店と協力して、カーボンやグラスファイバーを使ったハイテクの弓、矢を使い通し矢に挑戦しました。あまり通せなかったと言うおぼろげな記憶しかありませんでしたが、ネットで調べるとその番組のことはすぐに見つかりました。

toushiya_3その時の映像です。

 

江戸時代から続く老舗の弓具店(神田に本店があるそうです)がテレビ局とタイアップしてやった企画のようですが、結果として100本射たうち通ったのは9本でした。弓道人口は少ないとは言え、現代(30年前当時)の技術を駆使して作った道具を高名な弓道家が使って一割も通せなかったのですね。

 

ウイキペディアによると、江戸時代に通し矢の記録が更新されていた時期の成功率は概ね60パーセントを越えていたのです。(中には70パーセント越えも・・・、一昼夜通してです。)驚きの数字だと言わざるを得ませんね。

 

丸一日その強弓を引き続けるということ自体、私には想像もつかない程の当時の武士の強靭さをあらわしているように思います。

 

朝岡平兵衛さんが51本通して天下一の額を奉納したのは関ケ原の合戦の6年後のことでした。朝岡さんは戦国武将として名を馳せた豪傑だったそうです。この10年ほど後に大坂冬、夏の陣があります。彼がそこにいたのかどうかはわかりません。

 

記録が何千本と増えて行った頃には、藩の名誉をかけて才能のある武士を若い頃からこの通し矢の為に英才教育を施して代表となる弓道家を育てて行くようになったようですが、慶長年間にはまだそこらへんの豪傑が我も我もと天下惣一目指して挑んで行ったのでしょう。

 

つまり数百本通せるくらいの武士はたくさんいたと言う事になります。武士は凄かったんですね。

 

戦国の世が終わったばかりですから、戦で命のやり取りをして生き残って来た強者が大勢いた時代でした。そういう時代を生き延びて行くにはそれは大変な修行を積んだのでしょう。負ければ命がない・・・、まさに命がけだったんですね。

 

徳川の時代になり戦争はない平和な世であったはずですが、この通し矢の記録を作ることが天下一と言われるようになると、それに挑戦して敵わず、藩の名誉を穢したとして切腹して果てた武士も多かったそうです。平田先生の「弓道士魂」によると、慶長年間だけでも25名が切腹した、とあります。(出典は不明です)

 

スポーツのような競技かと思いきや、まだまだ命がけの争いをしていたのです。オリンピックの金メダリストとて、本当に命をかけて戦う訳ではありません。そこに違いが生まれるのでしょうか?

 

例えばハンマー投げで世界を制した室伏広治さんのような人を、若い頃から通し矢の練習にはげませれば昔の和佐大二郎と競うような記録を作れるのでしょうか?ちなみに和佐さんは6尺を越える大男だったそうです。181センチ以上・・・、当時の日本人の平均身長は156センチ前後だったと言われています。

 

今ならば(平均身長は171センチほど)1メートル95~2メートルくらいの感覚でしょうか?ただ当時記録を作っていた武士たちがみなそのような大男ばかりだったわけではないでしょう。

 

かのローマ帝国の軍人たちもガリア人に比べれば身長は低かったらしいですが、鍛え抜かれた強靭な体躯を誇っていたそうです。スパルタ人もギリシャ諸都市最強だったと言われていますが、ミケランジェロの彫刻や、古代ギリシアの彫刻よりもはるかに筋骨逞しい肉体を持っていたのかも知れませんね。

hherakuresuヘラクレスspartaarchmus020スパルタ戦士

 

通し矢は全国的な流行となり、浅草にも江戸三十三間堂が創設され、幕末に至るまで京都よりも多様な(大矢数だけではなく)種目が行われていたそうですが、京都の記録を上回ることはありませんでした。

 

東大寺でも(若干の距離などの違いはありましたが)通し矢が行われていて、天保13年にはのちに新選組に入隊した安藤早太郎(当時挙母藩士)が21時間の間に11500本射て8685本通しました。三十三間堂とは仕様が違うため新記録とはみなされませんでしたが、凄い記録だと思います。

 

彼は紀州日置竹林派応心流の射術の使い手だったそうで、脱藩後、新選組に入り、あの有名な池田屋事件で負傷し、その傷の為に一か月後に死亡したそうです。

 

明治に入り、明治32年に慶応大学弓術部の初代師範であった若林正行が4457本を通したのが記録として残っているものでは最後だ、とウイキペディアには書かれていますが、これも出典は不明です。

 

私がネットで見た限りでは、彼は摂津高槻藩士弓術・砲術師範の長男で、18歳の時に日置流免許皆伝を受け、父の後を継いだとあり、明治28年に京都三十三間堂で100射試みて55本を射通したとされています。

 

彼の父、若林泰次郎正宣は天保9年(1838年)に京都三十三間堂で100射中91本を通したそうです。

 

安藤早太郎さんは実際に命のやり取りをして散りました。若林親子は実戦は経験しなかったかも知れませんが、幕末、明治とは言え、武士たるものは命を懸けて戦う心構えを持って武芸に励んでいたのでしょう。

 

30年前に高名な弓術家たちがチャレンジして100射中9本通したことと比べて見てもあまりにも差があり、また昔の武士はそれを一昼夜続ける強さがあったというのは、もう異次元の強さとも思えてしまいます。いやぁ・・・、どんだけ強かったんでしょう・・・?

 

「氷川清話」からの引用ですが、勝海舟さん曰く「本当に修行したのは剣術ばかりだ・・・ほんに身体は、鉄同様だった。」・・・、殆ど寝ずに修行したように書かれています。

 

「・・・、昔の武士は、身体を鍛えることには、よほど骨を折ったものだよ。弓馬槍剣、さては柔術などといって、いろいろの武芸を修行して鍛えたものだから、そこでおれのように年は取っても身体が衰えず、精神も根気もなかなか今の人たちの及ぶところではないのだ。」

 

等々・・・、また、武士はいざとなれば命を投げ出す覚悟があったということも言っています。平和な時代に生まれ育った私たちには計り知れないものがありますね。

 

現在は通し矢と言うと、成人の日前後に弓道の有段者たちが晴れ着を着て三十三間堂の庭で60メートル先の的に射かける行事の事を言うようになったようです。

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サムライの世には全く違う通し矢がここにはあったんですね。

 

蛇足ですが、「矢継ぎ早」と言う言葉は、京都三十三間堂の通し矢で次から次へと矢を継いで速射していたことから生まれたとも言われています。真偽のほどは解りませんがなんとなく解るなぁ・・・。

 

 

 

 カテゴリ:未分類

フェニックス・オープン速報

午前8時50分現在、松山選手とファウラー選手のプレーオフは4ホール目に突入しています。私は家を出れません!

 

4ホール目、ファウラーがティーショットを池に入れました!

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ファウラー池ポチャ後の第3打

 

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松山ティーショット

 

ファウラー、パーパット入らず!ボギーだ!

 

20160208_090224松山もバーディーパットは逃し、パーパット。

 

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やった!松山選手USPGAツアー2勝目です!あめでとう!

 

さぁ、急がないと…、遅刻してしまう!(9時8分)

 

 

 

 カテゴリ:スポーツの話

Moody`s mood for love・伊藤大輔at Body&Soul

伊藤大輔くんと国貞雅子さんと言う若手の実力派ボーカリストがデュオをすると聞き、これは聴いてみたいと思っていました。

 

出不精になる一方で土日はゴルフ以外では遠出したくないのですが、首、肩がパンパンに張っていまして、錦糸町楽天地のサウナで整体受けて錦糸町から行けば半蔵門線一本で行けるな・・・、と思いまして、マッサージで首が回るようになった後軽く一杯頂いてから表参道へ向かいました。

 

リーダーの宮本貴奈さんのソロピアノが始まっていました。ほぼ満席のお客さんがうっとりと聴いていました。素晴らしいピアニストです。

 

ここで彼女を聴くまであまりよく知りませんでした。名前も「キナ」と読むんだと思っていたくらいです。(タカナさん、ゴメンナサイ(謝))かなりの実績のあるかただそうですが、理由がわかりますね。

 

アメリカで活動している日本人ミュージシャンは多いみたいですが、実際にこれだけ高い評価をされている人はきっと少ないんだと思います。ちょっと違いますよね。

 

さて、まずは国貞さんが数曲歌いました。彼女は順調に伸びています。素晴らしいグルーヴ感がさらに磨かれているようです。大好きな歌手の一人です。

 

そして伊藤くんにタッチ交代。もう十年以上前でしょうか?小岩コチで若き伊藤くんを初めて聴いて、いやぁ、上手いなぁ・・、と驚きました。そのときはボイパ等も披露してくれました。

 

暫く名前を聞かなかったんですが、大塚グレコによく出ているのを見て、2~3年前に聴いた時にはあまりスタンダード曲をやらず、こういう方向でやってるのかな?なんて思っていましたが、いろんなミュージシャンたちと幾つかのユニットがあり、幅広い分野で活躍されていたんですね。その夜も女性ファンで満杯でしたものね・・・。

 

この夜のようにスタンダードばかりやるのは久しぶりのようなことを言って歌い始めましたが、私はこういう感じが好きだなぁ。

 

そして「Moody`s mood for love」です。私がジャズのライブえお聴くようになって十数年かなぁ・・・、今までに2回だけこの歌を聴いた事があります。2度共女性ボーカリストでしたが、(男性ボーカルは少ないですよね、ただでさえ少ないのになかなか伊藤君のようにチャンスを貰える人は益々少ないですから・・・)うぅ~~~ん・・・。

 

その2回とも特に良いとは感じることもありませんでした。ジェームス・ムーディーというサックス奏者が「I`m in the mood for love」を演奏した録音のアドリブ部分のメロディーに歌詞を付けて歌われるようになったという、結構有名な歌なんですが、歌手なら歌ってみたい、と思うような歌かと思いきや、意外に歌う人が少ないみたいです。(「I`m in the mood for love」も好きなんだけど、あまり歌われませんね。)

 

かなり前に銀座の山野楽器でどんな人が歌ってるのか、歌のCDを店の人に探してもらったことがあるんだけど、その時は見つかりませんでした(店の在庫の中には)。今ネットでチェックしましたら、いやぁ、いろんな有名な歌手たちがチャレンジしていましたよ。なんと、故エイミー・ワインハウスまでもが歌っていました。

 

さて、伊藤くんの「Moody`s・・・、」です。いやいや素晴らしいじゃぁありませんか!本当にホーンでアドリブをやっているのに歌詞が聴こえてくる・・・、と言ってもいいような素晴らしい名唱でした。どうして前の歌手とこんなに違うんだろう・・・?

 

音の強弱、音色を微妙にに変えたりしてるんでしょうか?感動です!アル・ジャロウのライブをブルーノートで聴いた事がありますが、彼は「声が楽器」のような素晴らしい歌を歌います。そこまでは言わないけど、伊藤くんも素晴らしい楽器を喉に潜ませているんでしょう。ただメロディーをなぞるように歌うんではダメなんですね。いいものを聴かせてもらいました。

 

そして一曲だけ国貞さんとデュエットしました。「二人でお茶を」いいですねぇ・・・。リハもしてなかったそうですが、ジャズミュージシャンたちの感性はその場で一度きりの素晴らしいギグを生むんですね。

 

また、伊藤くんはじめ、三人の掛け合いやジェスチャー、やり取りは本当に素晴らしくって、時には爆笑を誘い、またあちらこちらから歓声の上がる楽しく盛り上がったステージになりました。お客さんもミュージシャンもみんな笑顔笑顔・・・。こういうライブになると、私も気兼ねなく歓声をあげられます。素晴らしいステージングでした。

 

インストのバトルもいいけれど、こういうボーカルとのやり取りやボーカル同志の掛け合いも本当に楽しいジャズの魅力の一つでもあります。でも日本ではあまりこういうステージにめぐり合えないのが残念です。やればこれだけお客さんが楽しめるんですから、こういうライブ増えてほしいなぁ・・・。

 

音楽はアートの部分とエンターテイメントの部分を併せ持っています。アートの部分が勝ち過ぎると私のような凡人には付いて行くのが難しくなるんです。難しすぎる音楽からは私には音の楽しさが伝わって来ないようです。私はやっぱり楽しい♪が好きです。

 

宮本貴奈さんの伴奏、ソロも絶品でした。強いタッチで大胆に激しい音も、優しい繊細な音も・・・、(フォルテシモとかピアニシモとかいうんでしょうか?)メリハリが効いていて、また音色も美しい!私には左手の音に印象が残りました。有名な人だからライブの回数が少ないのが残念なくらいです。

 

きっとセカンドはもっと盛り上がったんだろうなぁ・・・、残れば飲みすぎてしまうワタクシです。後ろ髪をひかれる思いで店を出ました。ライブの余韻を感じながら時には鼻歌まじりで歩いていると、あっという間に遠い筈の表参道に着いてしまいました。行きは遠く感じるんですけどね、不思議なもんだわい(笑)。

 

男性ボーカルは少ないけど、河波浩平くんとか和田明くんとか素晴らしい若い歌手がいます。伊藤くんは活躍していますが、多分他にもいるだろう男性ボーカルをもっとブッキングしてほしいなぁ。すべてのライブハウスのブッキングマネージャーにお願いしたいと思いました。

 カテゴリ:音楽の話

七高グリーン会・外伝

とある夜、両国に七G会の面々が集まりました。JRの両国駅から東へ徒歩5分、世話役E君のホームグラウンドとも言える総武線ガード下の名店「美うら」さんにお邪魔しました。

 

私は仕事の都合で30分ほど遅れて着くと、10名の会員が待ち受けていました。Oi君などはもうすでに顔を真っ赤に染めてご機嫌のようです。

 

私も駆けつけ一杯頂き、乾杯して参加しました。この焼き魚、鰯かなぁ?美味いぜぃ!まえの席にいるHr氏、Or君の魚の食べ方の上手な事。骨が少し残る程度に綺麗に平らげていました。

 

かくいう私もずっとやっていた船釣りのお蔭ですっかり魚大好き人間になりまして、(それまではどちらかと言うと魚は苦手だったのですが)同様に残すところ少なく頂きました。

 

さて、あとから騒がしいIf君も到着、「明日ゴルフで早起きだから、ちょっと自粛する・・・」とか言いながら、結局いつも通りの酒豪ぶりを発揮します。

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オシドリ夫婦のHr夫妻を中心に、その他大勢。

 

さてこの会は本来は七G会の幹事会でして、コンペの後に、順位上位、下位2名づつ4名と世話役はじめ常任幹事の面々とで次回コンペの詳細を決めるための集まりなのですが、なにしろ手際のよい人材ばかり、私が着く前には幹事会終了、単なる飲み会と化していました。(笑)

 

実は私は今回の幹事ではなく(前回年末のコンペには参加できませんでしたから)単なる乱入者でした。常任幹事含め、都合8名の幹事会のはずなのに、何故か12名座っています。乱入者は私だけではありません。七G会のレギュラーメンバーの半数じゃぁないか・・・。

 

要は幹事会の名をかたった飲み会なんでございましょうか?Hi氏曰く「これって新年会なんでしょ?」ま、いいか・・・。

 

私がこの会に初めて参加させて頂いた4年前当時はE世話役と総合司会のIf君がまとめていたように記憶していますが、いつの間にか適材適所、それぞれの得意分野を生かし、Omハンディキャップ委員長、Yw音楽部長、パーティー企画委員長にOr君、元々中心メンバーのSr君は佐倉カントリー倶楽部担当部長でしょうか?(忙しくてなかなか参加出来ませんが・・・)常任幹事が増えて来ました。

 

各自、すみわけが決まってきているのが妙に自然です。そしてE君説、「そして優勝はHwの役目になっちゃったよ(笑)」・・・、いやぁ~、まさにその通りのHw君の進歩ぶりです。

 

その手際のよい幹事団のおかげで粛々と事案が片付けられて行きます。いやぁ~、素晴らしい幹事会でございます。私はただご相伴に預からせて頂くのみでございまして、感謝感謝!と言う訳でお美味しい料理とお酒に話は尽きません。

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E君、ご満悦!

 

鍋が美味しいんです。旨いだしの効いたおつゆで最後はこの店特有のきしめんのような太いうどんがまた美味い!二つのテーブルで違う鍋頼んだら、あっちも食いたい!というIf君の声でもう一ラウンド!おいおい年寄り集団食いきれるのかなぁ・・・?との心配は杞憂に終わりました。(笑)

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よく食うし、飲むやつらだわい!店の人も驚いてるんじゃないかなぁ?これだけ頂きますとかなりお勘定の方も・・・・、と思いましたが、世話役が少しかぶってくれたんじゃないかなぁ?申し訳ない!お蔭で楽しい幹事会になりました。

 

最後にもう一枚、おかみさんの娘さんです。

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また、宜しくお願い致します。

 

 

 

 カテゴリ:日々のこと

武士の実力(三十三間堂通し矢からの考察)

昨年でしたか、御茶ノ水駿河台下にあった書泉ブックマートが店を閉めました。書泉の幾つかの店舗の中では漫画やちょっとオタクっぽい本が置いてありました。

 

私の息子が小・中学時代に(高校入ってからもか・・・(笑))よく参考書を買いに行こう・・・、と言われ三省堂へ連れて行きました。しばし本棚を眺め、「今日はやっぱりいいや・・・」とか言って、彼の本命の書泉ブックマートへ行き漫画を買ったものでした。(笑)

 

私も漫画少年、漫画中年でしたから、息子が欲しいコミックを選んでいる間、私も自分の好きな棚を眺めて楽しんでいました。結構昔の漫画の復刻版など、他の書店では見られないものが多く置いてあったのです。

 

あるとき、「おおぅ~~~!こりゃあ懐かしいわい!」と手にとった平田弘史先生の「弓道士魂」、ついつい買ってしまったなぁ。三十三間堂で行われていた通し矢の話です。私が高校生くらいの頃連載されていて大好きな漫画でした。

20160131_111048

 

京都の三十三間堂と言えば、中学の修学旅行で行った記憶があります。軒に矢の傷跡があったのを見たような気がします。

 

三十三間堂の通し矢って、どの程度皆さんに知られているのかなぁ?有名なのか、はてさて・・・。

 

今年も成人式の記念行事として振り袖姿で弓を放った方々が多くいた事でしょう。

toosiya1  toosiya2

 

華やかですねぇ・・・。

 

通し矢についてネット検索すると画像はこんなのばっかり出て来ます。成人式の人気スポットなんでしょうか?

 

私にとって通し矢はこんなイメージでした。

通し矢1

 

武士の時代に大流行したと言われる「大矢数」です。京都蓮華院(三十三間堂)の西側軒下を南から北に矢を射とおします。一昼夜(丸一日射続けるんですね)かけて何本通したか、総数を競う過酷な戦いでした。

 

伝説では平安時代末期に始まったと言う話があるそうですが、記録が残っているのは安土桃山時代の頃からだそうです豊臣秀次が「ここで射術をしてはいけませんよ」と言う禁令を出した記録が残っているそうです。

toosiya5ここを射通す訳です。長さ121.7メートル、高さ4.5~5.3メートル

 

江戸時代に入って1606年に清州藩の朝岡(浅岡と言う説も・・・)平兵衛という武士が100本射て見たところ、51本通った、と言うのが通し矢として明確な記録が残っている最初のものです。

 

その後、われもわれもと天下一の称号をかけて記録に挑むようになりました。三十三間堂は天下惣一を争う競技場となったのです。(新記録を達成すると藩が「天下惣一」の額をお堂に掲げるようになりました。)

 

徐々に記録は伸びて行き、1000本を超えて行きます。また、実施にはかなりの費用も必要となり、藩の援助なくては挑むことは敵わなくなります。

 

最終的には尾張藩と紀州藩の一騎打ちの様相を呈して来ました。そのことを描いたのが平田弘史先生の「弓道士魂」です。いやぁ、精緻な絵とドラマチックな展開は数十年ぶりにあらためて読んでも感動する思いでした。

toosiya3たくさんの見物人が集まるようになったようですね。

 

知りませんでしたが、元々江戸時代から、講談の一目として楽しまれていたようです。かなり昔(太平洋戦争終戦直前の1945年に)長谷川一夫さん、田中絹代さん主演で映画化もされたそうです。

 

講談、昔からの言い伝え等を元にして映画、漫画が作られたんでしょうね。藩のメンツをかけた戦いになった通し矢の記録に挑むために、武士たちはどんな過酷な修行を積んだんでしょうね?

20160131_111235

 

最終的には23歳の和佐大八郎(紀州)という若武者が8133本の大記録を立てたあとは記録が伸びず、徐々に挑戦するものがいなくなっていったと言う事です。(18歳と書かれている記事も多くありますが、恐らく18歳で初めて7000本越えを果たした葛西園左衛門と混同しているのではないか?と思われます)

 

一昼夜で総矢数13053本射たうちの8133本を射とおした訳ですが、単純に計算して1分間に9本射なければいけません。実際には肩を痛め、かなりの時間休んでから再開したという話があります。であれば1分間に10数本射続けた・・・、5秒に1本以上の早打ちです。

 

これがどれほどすごい事なのかは見当もつきません。使われた弓は推定25~28キロの強弓だと言われています。弓道については何も知らぬ私です。どれだけ強い弓なのかもわかりません。

 

ある大学弓道部のHPにあった通し矢に関する文章を見ると、「今ではそれだけの強弓を引ける者は稀である。」と書かれています。また「それを一昼夜、10000回以上射続ける、と言う事は並々ならぬ鍛錬を必要とするだろう。」とも記されていました。

 

何と比較出来るのか解らないけれど、例えば10キロの鉄アレイを何時間(何分間?)カールし続けられるだろう・・?高校生の頃には腕立て伏せも100回位やったことがありますが、最後は腕がブルブル震えて曲げた腕を伸ばせなくなりました。ほんの100回です。(今は10回くらいしか出来ない身体になりました(笑))

 

ちょっと話が長くなりそうですね、また、続編に続く・・・・、と言う事にしましょうか・・・。

 

 

 カテゴリ:未分類

懐かしい味・Peacan pie

昨年、ふと思い出したエッグノッグとペカンパイの事を書きました。

 

日本ではペカンパイは見たことが無かったのですが、「そうだ、ネットで探してみるか・・・?」とPCに向かうと、それらしいものが見つかりました。

 

早速オーダーして見ました。年末の締めにスタッフに一年のお礼も兼ねてみんなで食しようと思ったのですが、根本先生と話しているうちに考えを変え、うちに持って帰りました。

 

そう、私の姉でハワイ大学に行っていたのがいまして、(彼女は私より長くアメリカに住んでいたのですが、)その姉はあまりペカンパイは好きではなかったんです。

 

結構甘いですから、日本人の中にはちょっとくどすぎると感じる方もいるかも知れません。お礼のつもりが、却って無理に食べさせることになってもいけません。

 

と言う訳で、根本先生ご推薦のルバーブパイを探して注文しました。実は私はこのパイの事を知りませんでした。根本先生は歯科大卒業後、数年アメリカで開業なさっていましたから、私よりいろんなことを(アメリカの事について)ご存知です。

 

これならみんな美味しく食べられると思うよ・・・、との事でしたが、いやぁ~、美味しかったです。ちょっとすっぱめの甘さですね。こういうのも大好きな私です。

 

ルバーブルバーブパイです。ルバーブは野菜なんだそうです。

 

これも作ってるとこは少なかったですね。スタッフも喜んでくれたようです。

 

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さて私のペカンパイは家に持ち帰りまして開けてみると・・・、そうそうこれだぜぃ!一口食べて、懐かしの味が口中に広がりました。感激です!

 

毎日一切れづつ食べて冬休みを過ごしました。そのままで食したり、暖めてハーゲンダッツのバニラを載せてみたり・・・。いやぁ~、美味かったです。

 

息子が送ってくれた和中折衷のおせちセットがまた美味く、毎日合わせて食べていまして6日間の冬休みが終わってみると、3キロ近く太ってしまいました。太るのはなんと簡単な事でしょう!

 

1月も終わり近くになっても太った分はそぎ落とせておりません。なのにまた食べたくなって頼んでしまったぜ。

 

20160127_191319こんな箱に入って来ました。

今度は小さめの品にしました。前回はフルサイズ23センチでしたが、今回は15センチ、重さは半分以下です。食べ過ぎて太らぬよう用心用心!

 

20160127_191403

 

うおお~~~!美味そうだぜぃ!

 

YAKIGASI tamusa というお店です。オーダーを受けてから作るそうで、作り立ての味が楽しめます。

 

20160127_191755

 

今回は味も変えて見ました。前のはオリジナルタルト、今回はバーボンです。フィリングの色も少し薄目です。これも美味いぜ!こっちのほうがしつこくないかも・・・。

 

そう思うと、アメリカでも店によって微妙に味やフィリングの色、感触等は違っていましたね。「違いの解らぬ男」の若い時分には気にもしませんでしたが・・・。

 

20160127_191453おまけにもう一枚・・・

 

さて、アイスクリームも買ってこないと・・・。ペカンパイ・アラ・モード・・・、また太っちゃうなぁ・・(泣)

 

 

 カテゴリ:日々のこと

ある日浅草で

Gtくんが浅草ハブに行ってみたいと言うので某日一緒に行って参りました。彼の愛娘、Saちゃんのご主人、Hkさんも興味をもったようで、連れて来ました。

 

その日は「ソウルフードカフェ」と銘打った(ここのレギュラーのライブですが)古川奈津子さん(ピアノ・Vo)リーダーのバンドです。私もハブ初心者なので、聴いたことのあるミュージシャンのライブは限られていますので、この日になりました。

 

古川さんと海付さん(サックス)はニューオリンズジャズではかなりなが知られている方たちと聞いています。素晴らしい演奏が始まりました。

 

 

この店にしては今日はお客さん少な目かな?と思っておりましたが、なんのなんの徐々に客席は埋まって行きました。

 

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Gtくんもなかなか気に入ったようで、「上手いねぇ!」と感心しきり、また古川さんのMCも上手いもので、Gtくん、ついついステージに向かって話しかけたり、それに古川さんも応えてくれたりで、楽しく時間が過ぎて行きます。

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親と義理の息子のツーショット。

 

Gtくんの高校サッカー部時代の盟友、Ywくん(♪大好き人間でもあります)はこの日相撲観戦帰りに寄ってくれました。それにGt君の会社の(いつも船カンでお世話になってます)Hwさんも駆けつけました。

 

普段私が聴いているジャズとは少し違うトラッドなニューオリンズジャズです。知らない曲も多いけど、「What a wanderful world」とか、有名な歌もいくつかやってくれました。時にはお客さんにも参加させて盛り上げてくれます。(Gt君はその歌は殆どずっと合唱していました。彼も好きなんですなぁ・・・。)

 

みんなそのパートでは合唱に参加し、盛り上がって行きました。私の席の友人たちもこの気軽な雰囲気の中、大いに楽しんで時間が過ぎて行きます。

 

 

Gt君は料理も大いに気に入ったようであります。鰯の燻製が良かったです。ピザ、フィッシュアンドチップス、パスタ、他もみんな美味しかったけど。(かなりいっぱい頼んだ気がするなぁ・・・)相変わらずの食欲のHwさんも満足したのでしょうか?

 

なんとオムそばがメニューにありました。なんでも復刻メニューだそうで、期間限定なのかな?

 

客席も盛り上がり、ミュージシャンたちも乗って行きます。各プレーヤーのソロの調子が出て来ました。テンションが上がっていますね。カッコいいフレーズでお客さんからも声援があちらこちらから上がり始めました。(このテーブルが一番うるさかったかも・・・)

 

20160114_195222

 

あっと言う間に2セットのステージが終わり、Gtくんが入れてくれたI-W-Harperがいつの間にか残り少なくなっています。料理も結構頂きました。私は相変わらず声を出し過ぎで、やや燃え尽きてしまった感じです。

 

もう1セットあるんですけれど、この辺で・・・、お開きですね。はい。みんな笑顔で三々五々、楽しい夜になりました。

 

 

 

 

 

 カテゴリ:日々のこと, 音楽の話

う゛わ゛~~~っ!

ここ数日、なんかスイカの金額が減るのが速いなぁ・・・、と思っていましたが・・・。

 

ううう・・・!なぁ~んと、通勤定期の有効期限がを10日も過ぎていたぁ!・・・(悲)・・・。

 カテゴリ:日々のこと

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